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文化の日
ぶんかのひ
作品ID55272
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社
1970(昭和45)年6月20日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-06-26 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文化の日、十一月三日というと、ぼくら明治生まれのものには、降る雪も――だが菊の香も明治も遠くなりにけり――の感が深い。だから文化の日の朝はいつも少年期への想いにつながる。
 けさも、茶の間のえんさきで雀を見ていた。そしてふと、このごろは東京の雀もキレイになってきたなと思った。なぜなら終戦後数年間は雀までが焦土によごれてウス汚かったものである。それからやっと雀のオベベも今朝は文化の日らしく美しかった。『平和とはこういう物と名づけたり』と私はひとりつぶやいた。そのせいか番茶のかおりもばかに美味い。
 もちろん近年キレイになってきたのは、あに雀のみに限らんやである。都市、服装、交通、住宅、いちおう外観はまあまあのていどにまで上昇してきた。だがまだ文化国家と誇るには文化の日を幾十秋も重ねなければ、文化万歳と呼べそうもないことは選挙演説会の会場をのぞいただけでもすぐわかる。ほんとの文化には雀の姿にあるような平和と安心がともになくてはならないものだが、各党の党士の雄たけびを聞けばやたらに不安ばかりが増してくる。といって国際間の谷間にある日本であってみれば協和と祈りしかないのだから、せめて国内喧嘩とウス汚い不精だけはやめて、都市も美しく、女性もいよいよきれいに、そして田園もその生活も小ザッパリと日本的な知恵による暮らしの仕組みを少しずつでも進めてゆくようにしたいものだ。
 ところが、できることでもこのごろはやりたがらないクセがぼくらの社会にはいってしまった。たとえば、文化の日とか元日の朝ぐらいは家々の前はキレイに掃くという習慣をやりあってみたらどうか。全市スガスガしい朝を見るだけでもお互いの心が和むと思うが、休日の街ときたらまるで紙クズだらけが寒々している廃虚の観だ。ある休日の朝早く所用があって銀座裏から商店街をあるいたとき、私はまったく都市人の不精さとよく口にする平和だの文化観などにどれほど本気なのやらと疑った。どうやらまだ日本人は雀ほどには羽が抜けかわっていないらしい。
 こんななかでうようよしながら、人間は明け暮れ幸福をさがしている。幸福とはなにか? わかってもいないで目でさがしている。じつはそれにぶつかっている人でも幸福は別にその当人へ何ら注意もしないから、風のようにさりげなく通ってしまう。幸福とはそんなもので、今が幸福であることを心で噛みしめない者にはただの日常のことでしかないのである。そして多くは、不幸だけをいやというほどかみしめて一生までも忘れない。自分ほど不幸なものはないと思っている。
 なぜ今の境界のうちに幸福を見つけようとしないのだろうか。見つければだれの足元にも貝殻がある、海の底の物ではない。海の真珠を望むもいいが、それなら真珠膜をそれに巻かせる種子の用意と多年にわたるたんせいがいる。今日の幸福をかみしめるには今日あるものでなければならない。それは…

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