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紋付を着るの記
もんつきをきるのき
作品ID55273
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社
1970(昭和45)年6月20日
初出「東京新聞」1960(昭和35)年11月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-07-01 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 たまにシマのズボンをはくこともないではないが、冠婚葬祭、私はたいがいなばあい平服でとおしている。けれどこんどの授賞式では恒例モーニング、あるいは紋付という成規になっている。文部省から十一月三日当日の内達に接しると妻はさっそくこれに気をもみ出した。私のモーニング嫌いを知っているし、また私の紋付姿などは彼女も見たことが無いはずで、家族らの古い写真帖の中にも私が紋付を着たのなどは一枚も貼ってない。だからどっちみち新調しなければならないらしく、どっちにするかを案じるのだった。

 しかし、たんすの底には、永いこと眠っている一着の紋付があるにはあると妻がいうので、ではそれにするかと見させたところが、紋は茶色に変っていてとても着られませんという。なるほど、忘れ果てていたほど遠い年月以前の物にちがいないし、また何かの必要でそれを拵えたときも、私は袖も通さずつい仕舞い込んでしまったものであったろう。とかく私は人の紋付姿を見るのは決してわるい気がしないし、わけて婦人の紋服などはたいへん好ましく感じるのであるが、自分が着るか着ないかのだんになると妙にこだわって数十年来ついぞそれは着用することなく過ぎていたのであった。

 或る年の暮だった。自分が二十三、四歳のころで両親もまだそろっていた。私の細腕のかせぎで一家弟妹なんとかその日その日を過ごし、家は浅草栄久町の新堀ばたに借家していた。その大晦日のことである。病床にあった父も起き直って、母と共に何かきげんよく呉服屋から届いたばかりのたとうを解いて見ていたが、まもなく私を呼んで『おまえの春着が出来てきたぞ、ちょっとそこで着てみないか。年始歩きには、やはり紋付でなければいけない』と言った。丸に鷹の羽の紋と黒羽二重の冷たい艶が、あたりのスス壁や母の貧乏やつれとは余りにも似つかわしくなく光って見えた。私はどういう気だったのか、よく分析できないが『ぼく。紋付なんかいりません。嫌いなんです。何も正月だからッて』と、ニベもなく言ってしまった。さあそれからである。
 紋付論をたたかわせて、父の病状を一時悪くしたかと思われるほど父を怒らせてしまったのだった。
 折り目切り目とよくいうが、むかしの人には見得でなく、日常はどうでも何かの折にはくずせない「容儀」同時に「礼儀」の観念がつよかったらしい。私の父などもその典型的な人で、裏店住居から銭湯へ行くのでさえ、母がハキ物を揃え、両手をつかえて『行ってらっしゃい』の礼をしない事には下駄をはかない風だった。そんな両親なので、正月の年礼にはぜひ息子にも紋付を着せて外へ出したい念願であったのだろう。もちろんその一着を用意するためには、母も父も日頃のものをチマチマと長いあいだ節約しておき、そしてさて、さだめし私がよろこぶだろうと期待していたにちがいない。
 ところが、私も明治の子であるのだが、着物で好きなのは紺…

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