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人馬のにひ妻
にんめのにいづま
著者
翻訳者松村 みね子
文字遣い新字新仮名
底本 「三田文學 第七卷第十一號」 三田文學會
1916(大正5)年11月1日
初出「三田文學 第七卷第十一號」三田文學會、1916(大正5)年11月1日
入力者匿名
校正者館野浩美
公開 / 更新2018-07-24 / 2018-06-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 彼の二百五十歳の朝、人馬シエッペラアクは人馬の族の宝物の在る黄金の櫃に行って、その櫃に納められた護身符を取り出した。その護身符は彼の父ジシッヤクが盛りの年に山から採った黄金を打って作りその上に矮神と交換して得たオパルをちりばめたものであった。シエッペラアクはそれを腕に着け、一言も物いわず、母の住む洞窟を歩み出た。その時彼は人馬の族の喇叭をも持ち出した、かの有名なる銀の角笛で、むかしある時代にはその角笛が人間の住む十七の都市に降参をうながしたこともあった、また神々の都ソルデンブラナの包囲の時、星をめぐらしたその城壁に二十年間も吼えたものであった。その間人馬族はかの不思議の戦争を続けて如何なる敵の兵力にも破れなかったが、神たちが必死の必要にその最後の武器庫から持ち出して来た最終の奇蹟の為に、つちけむりの雲の中に徐かに退却したのであった。シエッペラアクはその角笛を取り上げて歩み出た。彼の母はただ溜息をして彼の行くのを止めなかった。
 母は知っていた、山々の奥の国なるヴァルパ、ニガアの廊から流れ下る流れの水も今日の彼はもう飲まない、今日の彼は例の如く夕日に見惚れて時を過ぐしやがて洞に帰って来てまだ人間というものを知らぬ河水に引かれながら立っている藺の上に寝に就くのではないということも知っていた。彼女の子の父にむかし起った事、またジシヤックの父グームに起った事、むかし古いむかし神々に起った如き事が彼女の子に起ったということを彼女は知っていた。それ故彼女はただ溜息して子の行くのを止めなかった。
 シエッペラアクは、自分の家であった洞窟を出て、始めてその小さい流れを越え、巌石の角を曲がった時、彼は自分の下に輝いている現世の平野を見下ろした。その時、世界を金色に光らしている秋の風はその山の斜面を吹きまくり、彼の素膚の脇ばらに冷たくあたった。彼は首を上げて鼻をならした。
「俺はもうおとこ馬だ!」彼は声高かに叫んで、巌から巌に飛び移り、谷も深瀬も、急流の底も雪崩の崖も躍り越えて、終に彼は平野のはてもなき長路の中に踏み入った、彼はアスラミナオリの連山を永久に彼の背後に見捨て去った。
 彼の目的地はソンベレネの住む都ズレタズラであった。人馬の種族の伝説の揺籃であるアスラミナオリの山にソンベレネのこの世のものでない美しさや彼女の不思議な身の上に就いてどういう伝説が世界の平野を越して届いたか、それは私は知らぬ。但し人間の血の中には潮時がある、昔ながらの潮流といった方がよいかも知れぬ、まだ人間に発見されない島々から流れ出した浮木が海の中で見つけ出されたように、人間に美しいものの噂をどんな遠方からでも持って来てくれるたそがれ時にもその潮流は似ている。人間の血に音づれ[#「音づれ」はママ]来るこの春の潮の流は人間の祖先伝来の神秘の境から、つまり伝説から、古いものから伝わり来たったものである…

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