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〔付〕唯物論研究に就て(戸坂潤手記)
〔ふ〕ゆいぶつろんけんきゅうについて(とさかじゅんしゅき)
作品ID55293
著者戸坂 潤
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 別巻」 勁草書房
1979(昭和54)年11月20日
初出「思想月報 第九号」司法省刑事局、1935(昭和10)年3月
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-08-26 / 2014-09-16
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(付記)  本篇は唯物論研究会の中心人物たる戸坂潤が書いて東京地方裁判所検事局に提出したものである。本篇の内容中日本共産党と同研究会との関係等重要部分に於て嘗てこの「思想月報」第一号に掲載した「唯物論研究会経過」の趣旨と必ずしも一致しない点がある。然し本篇は戸坂潤が全く任意自宅に於て執筆して提出したものであって、検事は之に対し何等反問等をしていないから或はそういうことの為に右のような結果となったのではないかと思われる。それは兎に角として執筆者戸坂潤は現に同研究会の中心人物であり又同会のことを相当詳しく述べているから参考の為茲に之を掲載する。

一、起源

 唯物論研究会の創立は昭和七年十月であるが、その準備工作は同年四、五月の頃から着手せられた。それに先立つ昭和六年十月頃戸坂潤、岡邦雄等は、現代が一種の科学(哲学・社会科学・自然科学等を含むひろい意味の)総合期なることを感じ、フランス百科全書学派或は明治初期に於ける福沢諭吉等の例に倣い学問研究の本流が専ら専門的分科的に分散しているに対し、別に総合的なる方向を開拓する意図を以て五、六の同志(山崎謙、本多謙三等)と謀り、『エンサイクロペヂスト』なる雑誌の刊行を企てたが、出版者その他の事情のため具体化せずして止んだ。超えて昭和七年に入り、岡の友人で従来ヘーゲル弁証法研究に専心していた三枝博音、三枝の友人服部之総との個人的会談が偶々現代一切の科学(「学問」と殆んど同意義)の研究が全く、現実の歴史・社会・技術・自然と没交渉なる観念論的な土台(生活意識)の上に行われて居る点に触れ、一切の科学を総合的に研究するために唯物論哲学の上に立つことの急務なることに就て語った。かくして同年四月以降数回に亘り、戸坂、本多、三枝、服部及び岡の五人が岡の私宅其の他に会合し、かかる研究に着手する具体案を練った。その要旨は最も広汎に各科の専門家(特に自然科学者に重きを措く)を糾合して一つの研究会を組織し、その内部に各部門別の研究会を組織し、機関誌を発行して研究活動の成果を発表すると共に、かかる研究に必然伴わざるべからざる啓蒙(唯物論的な諸科学研究への途をひらく)に資せんとするに在った。そこで先ず「唯物論研究会準備会」を組織するに決したが、当時の世話人としては前記五人の他にソヴィエト同盟の哲学を重視する意味に於て、その方面の造詣深くロシア語に堪能なる永田広志を加え、また長谷川万次郎、小倉金之助両氏の賛同を得た。かくて八月、長谷川、小倉、三枝及び戸坂の連署を以て、各方面の専門家に発起人としての協力を希む旨の手紙を送り、小泉丹、羽仁五郎、舟木重信、兼常清佐等四十名の発起人を獲得し準備会が組織された。そこで九月二十五日、日比谷三信ビル東洋軒に於て在京発起人会を開き(参加発起人十九名)、長谷川を議長とし、規約草案の上程、機関誌の発行、会員の推薦、総会の…

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