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フアイヤ・ガン
ファイヤ・ガン |
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作品ID | 55324 |
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著者 | 徳田 秋声 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「徳田秋聲全集 第14巻」 八木書店 2000(平成12)年7月18日 |
初出 | 「中央公論 第三十八年第十二号」中央公論社、1923(大正12)年11月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | えにしだ |
公開 / 更新 | 2019-12-23 / 2019-11-24 |
長さの目安 | 約 18 ページ(500字/頁で計算) |
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何某署の幾つかの刑事部屋では、その時殆んど総ての刑事たちが、みんな善良さうな顔をそろへてゐた。不断ならばちよつと好い気持のしない表情の持主でも、全市が大混乱のなかにあつて、大自然の暴威の前に一様に慄へあがつてゐた時なので、人間の本能がもつてゐるどんな勝手な真似でもが、共存的な好いところと一つになつて極度に拡大されてゐた時なので――勿論人間の悪い智慧や好い智慧や、深刻な心理がみんな閉塞してしまつて、尤も手近な感情ばかりが働いてゐたから、普通の犯罪が犯罪らしくも見えなかつたゞらうし、たとひそれが犯罪であつたにしても、群衆心理に支配された種類のものであつたから、それがちよつと普通一般のことのやうに思はれた。犯罪を捜す目に映る総てのものが、また顕微鏡か何かで見るやうに異常に拡大されてゐたので、人道上許しておけない残虐が、この際仕方のないことの様に思へたり、貴重な人命が自分さへ其の災厄にかゝらなければ、何の値打もないものゝやうに感ぜられたりした。感覚にふれる総てのものが、何一つ不断の状態におかれてはゐなかつた。地上の有らゆるものが、残らず歪んでゐるやうに見えた。倒壊したもの、焼かれたものが、総て空に向つてけし飛ばされ若しくは墜落しないで、地面にくつついてゐるのが、まだしも多少の安定を与へてゐるくらゐのものであつた。
刑事たちは、その時ひどく一般から恐怖されてゐる鮮人の行動や、錯誤から来た残虐などについて各自の見聴きしたことを話し合つてゐた。頻繁に警察へ舞ひこんで来る報告も報告も、その元を捜索してみると、何の根拠も事実もないことが確められるばかりであつた。彼等は各自にそんな事実を話しあつて賑やかに興じ合つてゐた。
すると其の時、ボーイが一人やつて来て、署長室へみんなに来てくれと云ふ命令を伝へた。部屋に集つてゐた八九人の刑事たちは、何事か起つたのかと思つて、何か手帳に書きつけてゐたものや、丼を食べてゐたものや、地震や火事の当時の騒ぎの話に夢中になつてゐたものゝなかから、重立つた四五人のものが急いで出て行つた。彼等の或るものは、粗末な紺絣の単衣に股引をはいてゐたが、或るものは汚い詰襟の夏服に巻ゲートルなぞを捲きつけ、或るものはまたちやんとしたアルパカの上衣に白のズボンといつた、会社の勤人らしい風をしてゐた。
署長は四十ばかりの、肉づきの好いハイカラ風の上品な男であつたが、この二三日の不規則な仕事と過度の勤労とで、疲労の色が見えた。型にはまつた不断の仕事とちがつて、色々な乱雑な事件や困難な問題が突発的に来るので、体の閑な割りに、あわたゞしい気分の浪費が多かつた。
ぞろ/\と部屋へ入つて看ると、署長と差向ひに卓子に就いてゐる一人の老紳士があつた。五十を少し出たかと思はれる、色沢のいゝ人の好ささうな人物で、質素な鼠色の古ぼけた無地の背広に、ソフトカラを着けてゐたが、胡麻…