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籠の小鳥
かごのことり
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「徳田秋聲全集 第14巻」 八木書店
2000(平成12)年7月18日
初出「新潮 第三十八巻第六号」新潮社、1923(大正12)年6月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者えにしだ
公開 / 更新2019-02-01 / 2019-01-29
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 羊三は山を見るのが目的で、その山全体を預かつてゐる兄の淳二と一緒にこゝへ来たのだつたけれど、毎日の日課があつたり何かして、つひ鼻の先きの山の蔭から濛々と立昇つてゐる煙を日毎に見てゐながら、つい其の傍まで行つて見るのが臆劫であつた。
「山にはこちらから料理人が行つてをりますから、宅よりも御馳走がございますよ。」
 嫂は家を出るとき、そんな事を言つてゐたが、その朝今は故人になつた土地の画家のかいた「雨の牡丹」の軸をくれたりした。東京の二流どころの画家のものと二つ展げて、羊三の択ぶに委せたのであつたが、その画の気品には格段の相異があつた。
「牡丹を頂きます。[#「頂きます。」は底本では「頂きます、」]」羊三は一目見ると直ぐ答へた。
「これは立派なものです。」
「さうだ。その男のものは宮内省へも納まつてゐる。」淳二は笑ひながら言つた。
 羊三は母の法事をすませてからも、四五日兄の厄介になつてゐた。男三人のうち長兄が昨年亡くなつてから、二人の気持が何となく以前より融け合つて来た。
「私は実子も何にもないから、明日死んだつてかまはんが、君は長生きしてくれなくちや困る。」
 さう言ふ気持はあつても、口へ出して愛想を言つたことのない淳二も、そんな事を言ふやうになつた。その軸も羊三が近頃ぼろ家を自分のものにすることができたなどの悦びの積りだと思はれた。
 淳二は停車場へ立つとき、煙草の好きな弟のために葉巻など用意して、自分で口を切つて火をつけてくれたりした。
 淳二のために鉱山の持主――といつても旧主筋に当るのだが――が作つてくれた手広い二室つゞきの静かな部屋で、羊三は原稿紙を展げたのであつた。其処の窓から事務所の一部が直ぐ右手に見られたが、前も左も山懐ろの斜面になつてゐて、その斜面にある道が、技師達の社宅への通路になつてゐるとみえて、夕方になると、若い洋服姿の男がその道を帰つて行くのであつた。淳二は朝早く起きると、部屋の外の廊下の端のところに、棚のある二つの箱のなかに飼つてある六七羽の鶫と、二羽の青鳥とに摺餌をやるのが、出勤前の仕事であつた。それは十月の中頃から、かすみ網を張つて、昨夜泊つてゐた谷間を、朝早く出立して、長い旅を急がうとしてゐる鶫の種類を呼ぶための囮なので、亡父から伝はつた淳二の一つの道楽であつた。閑散なこの国の士たちは、昔しさういふことに深い興味をもつてゐたし、網や附属品などを作るのに極めて堪能であつた。囮の選択や飼養法にも特殊の目と優れた技能をもつてゐた。
 羊三も幼年の頃から食べなれた其の鳥が、どこの国から貰つたものよりも美味いことを知つてゐた。勿論それは其の食物に因るのであつた。
 兄は羊三とちがつて、でつぷりした立派な体の持主であつた。その上その相貌が日蓮法師に似てゐるといつて、剽軽な寺の住職が、今度の法要のときにも油をかけてゐた。その日蓮の顔…

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