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坂道
さかみち |
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作品ID | 55348 |
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著者 | 新美 南吉 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「校定 新美南吉全集第三巻」 大日本図書 1980(昭和55)年7月31日 |
初出 | 「哈爾賓日日新聞」1940(昭和15)年5月 |
入力者 | 愛知大学文学部図書館情報学 時実ゼミ 青空文庫班 |
校正者 | 富田倫生 |
公開 / 更新 | 2012-11-20 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 9 ページ(500字/頁で計算) |
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東京のさる專門學校の生徒である草野金太郎は、春休みで故郷の町に歸省してゐたが、春休みも終つたので、あと二時間もするとまた一人で東京にたつのである。
荷物はまとめて驛に出してしまひ、まだ明るいけれど夕飯も風呂もすましてしまつた。これから二時間のあいだ、もう何もすることがない。
忘れてゐることはないかと考へて見るが、萬事手筈は整つてゐる。そこで金太郎は、二時間といふ僅かな時間をもてあましてしまふ。
ぢつと落着いてゐることができない。何故だかわく/\してゐる。かういふことが時々あるのだが、人間は果してこんな時仕合せなのか不仕合せなのか、と金太郎は考へたがそれも解らない。
そこで金太郎は、一つ自轉車で町にでも出て來ようと思つて母に何か用事はないか訊ねると生憎ないさうである。仕方がないので故郷に對して惜別の感慨にふけるといつたやうな目的で自轉車をひつぱり出した。
父が十何年も前に、しかも中古で買つたといふ古風な自轉車である。ハンドルが水牛の角のやうな形をし、ブレーキと荷掛けとチエーンのカバーがない。俗に「ふみきり」といふペタルで、つまり普通の自轉車のやうに、或る程度の惰性がついたらペタルの上で足を休ませてゆくといふことが出來ない。自轉車が走つてゐる限り、ペタルも足も廻つてゐなければならないのである。
金太郎はさて、家の前で身輕にひよいと自轉車にまたがつた。
用事はないのだから、ゆつくりゆつくり行けばよいのだが、町の人に見られると體裁が惡いので、自然何か買物にでもゆくやうな風をして走り出すのである。
さうして走つてゐると彼は何となく胸のときめくのを禁じえない。戀といふ程のことをした經驗のない彼には、この町のどこにもそれとなく見て別れを告げねばならぬやうな少女はゐないのであるが、通りのずつと向うの方に、まだ顏は見えぬけれど着物の色彩で少女と知れる姿が現はれると、自分の愛人ではないかと思つて見たりするのである。
そして金太郎は、更めて自分が專門學校生徒である誇りにうつとりする。
やがて人通りの餘りない、片側に工場の黒板塀が續き、片側は畑を間にさしはさんで住宅が數軒ならんでゐる、町で一番長い坂道の上に出た。專門教育を受ける人間は現代日本では六十人に一人の割合であると、以前に誰からか聞かされたことのあるのを思ひ出しながら、金太郎は坂を下り始めた。
少し下つた時、兩足がひよいとペタルから離れてしまつた。自轉車が加速度で走り出し、從つてペタルが速く囘轉しはじめたので、うつかりしてゐて足を離したものらしい。こいつはいけないと金太郎は思つた。兩足をもう一度ペタルにのせて速度を制御しようとしたが、ペタルの囘轉は速さを増すばかりで金太郎の足を寄せつけない。
このまゝにしておけば自轉車は速くなるばかりである。坂はかなり長いから、一番下に到る時分には、梶をとることさへ…