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近衛内閣の常識性
このえないかくのじょうしきせい
作品ID55353
著者戸坂 潤
文字遣い新字新仮名
底本 「戸坂潤全集 第五巻」 勁草書房
1967(昭和42)年2月15日
初出「日本評論」日本評論社、1937(昭和12)年7月号
入力者矢野正人
校正者Juki
公開 / 更新2012-11-02 / 2014-09-16
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近衛内閣の成立は、今の処割合評判が悪くないというのが事実だろう。なぜ評判が悪くないかと考えて見ると、恐らく第一に、近衛文麿公という人物が現下の時局に占めているユニックな位置によるものらしい。軍部と政党とに相当の信頼があるということ、所謂国内相剋の緩和者としてかけがえのない人物であること、等々であるらしい。将来の重臣候補を以て目されるに足るだけの貫禄があるとも見られている。自分に大臣経歴をつけるのが目的で、広田外相に首相の椅子を譲るために出馬したのだとも云われている。之は多分にその名門と関係があろう。云うまでもなく取り沙汰される公の識見乃至常識と信念力とも、恐らく大切な要素だが、之は公の時局的位置から来るやや当然な結果であると見るべきだろう。四十代の壮年だということは、本質的には何物を意味するものではないが、それでも、世間が目新しいというだけで多少の新鮮味を感じるのは嘘ではない。青年待望の錯覚も全く無意味とばかりは云えないのである。
 だが近衛内閣に対する多少の好意に似たものは、前林内閣に対する憤慨の反作用に由来する処が大きいのだ、ということを忘れてはなるまい。議会軽蔑の現われとしか見ることの出来ぬ抜打解散、総選挙の決定的に反政府的な結論に対するシニズム、こうした態度が、その祭政一致声明の超時代常識性と呼応して、独り政党人の政治屋的常識を刺激したばかりでなく、国民自身の不快を買ったわけだが、それが政民両党其の他の倒閣運動が成熟し始めた頃、とうとう立ち腐れになって了ったということは、広田内閣の総辞職の場合とは違って、伏在するものを感じる必要のないような、明白な審判を意味したようにさえ見えた。その審判を合理化するような立場にある役目を持って近衛内閣が登場して来たのだから、その反林主義の方向が何となく民衆の気に入らなくはないのも自然だ。
 それと云うのも、近衛内閣ならば流石の軍部もあまり威張ることが出来なかろうし、政党に対する多少の仁義も心得ているだろう、という政治家風の観察が、知らず知らず国民の考え方に影響しているからで、国民が最近の日本の内閣や支配者に少しでも期待のようなものを懐く時には、いつも政治支配者の身勝手な楽観にひきずられてのことである。かつての新聞班パンフレットによる農山漁村の対策に期待した日本の無産者の一部分は、その後の国防絶対至上主義化によって見ごとに背負い投げを食わされたが、政治家風の空頼みが今回国民に多少の期待を吹き込んだということも、話は小さくて稀薄だが、別に之と異った現象ではないかも知れぬ。
 そう思っていると、その政党そのものが、近衛内閣に対する不信をポツポツほのめかし始めた。永井・中島の両氏は、政党離脱などという条件を課せられずに、政党人として入閣を許可されたが、それも民政わずかに一名ずつの子供だましの類であり、而も党代表としてではな…

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