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折鞄
おりかばん |
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作品ID | 55359 |
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著者 | 徳田 秋声 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「徳田秋聲全集 第15巻」 八木書店 1999(平成11)年3月18日 |
初出 | 「改造 第八巻第四号」1926(大正15)年4月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | きりんの手紙 |
公開 / 更新 | 2021-12-23 / 2021-11-27 |
長さの目安 | 約 23 ページ(500字/頁で計算) |
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融は何時からかポオトフオリオを一つ欲しいと思つてゐた。会社員とか雑誌新聞記者とか、又は医者のやうに、別段それが大して必要と云ふほどのことはなかつたけれど、しかし其があると便利だと思はれる場合が時々あつた。一日の汽車旅行とか、近いところへ二三日物を書きに出る場合とか、でなくて長い旅でもこま/\した手廻のものを仕舞つておいて、手軽に出し入れのできる入れものが一つ有つた方が便利であつた。煙草、マツチ、薬、紙、ノオト、頼信紙、万年筆、雑誌、小さな書冊、そんなやうな種類のものは、その全部でなくても、ちよつと出るにも洋服の場合は、ポケツト、和服の場合は袂や懐ろに入れておけないことはなかつたけれど、矢張何か入れ物に取纏めておく方が都合が好かつた。しかしもと/\事務的に出来てゐるポオトフオリオが、事務家とも遊民ともつかない老年の彼にふさふか何うか考へものであつた。融は時々手提の袋などを買つて、その当座二三度持つて歩いて悦んでゐたこともあつたが、何だかぢぢむさい気がして、いつでも棄てつぽかしてしまつた。
「何うだらうポオトフオリオを一つ買はうかな。」
融は子供や妻と町を散歩したり、買いものに出た場合などに、鞄屋の店頭や飾店の前に善く立停つて言つたものであつた。勿論それは実用品といひ条、彼に取つては人のもつものを、ちよつと玩具に持つて見たい程度の、小供らしい慾望でもあつた。
「お父さんには少し可笑しいな。」子供は言ふのであつた。
融はその時は子供に遠慮するやうに、買ふことを止めたが、しかし何うかすると、鞄屋の前に足を止めることが、其の後も時々あつた。
すると大晦日ちかい或日のこと、彼は二三日それが続いたやうに、その晩も妻と大きい子供と町を散歩した。彼はその前の晩も三人で、本屋を三四軒覗いて、劇に関する著述と俳諧に関する書物を買つたが、その又前晩にも、妻と二人で贈りもののお屠蘇の道具を買つたりした。或晩なぞは途中で彼女が遽かに気分が変になつて、急いで家へ引返した。
「何だか頭が変ですから、私帰りますわ。」
彼女は悲しげな声で融に告げるのであつた。
「あゝ、それあ可けない。大急ぎで帰らう。俺が手を引いてやらう。」融は吃驚して、彼女の顔を見ながら言つた。
「いゝんですの。そんなでもないんですけれど、何だか変ですの。」
融は若い時分から、時々出逢つてゐるやうに急に、足の鈍くなつた彼女が今にも往来に倒れさうな気がした。それほど彼女の顔色が蒼かつた。顔全体の輪廓や姿も淋しかつた。
「お前の顔色は大変に悪いよ。まるで死人のやうだよ。明朝医者においでなさい。何を措いても屹度だよ。」融は語調に力をこめて、少し脅かすやうに言つた。勿論顔色が凄いほど蒼かつたことは事実だし、秋以来ずつと健康を悪くしてゐることも解つてゐたけれど、その言葉には兎角病気を等閑りにしがちな彼女を、少し驚かしておか…