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石仏
せきぶつ |
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作品ID | 55378 |
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原題 | THE STONE BUDDHA |
著者 | 小泉 八雲 Ⓦ |
翻訳者 | 林田 清明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
入力者 | 林田清明 |
校正者 | 林田清明 |
公開 / 更新 | 2012-09-02 / 2019-03-02 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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1
第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。
つぎの授業までに空いた時間があるので、この際、この丘陵まで行ってみることにした。丘を登っていると、足下を黒い(無毒の)蛇が横切っていった。私の人影に驚いて、枯葉色をしたバッタたちがブーンと飛び立った。畑の細い畦道は、墓地の入口の壊れた石段に達する手前で、下草の中に消えてしまっている。墓地の中と言えば、通路などはまったくなく――雑草と石だけである。しかし、丘の上からの眺めは良かった。肥後平野の広大な緑野が広がり、その向こうには青い峰々がぐるりと輪になって取り囲んで、地平線の光をバックにして光り輝いている。これらの峰々の上にひときわ聳え立つ、阿蘇山の頂が悠久の噴煙を上げている。
私の下には、眺めがちょうど鳥瞰的に広がっており、五高の校舎を望むことができるが、それは現代の町を模したようで、窓が多くある横長の煉瓦造の建物が並んでいる。これらの建物は、一九世紀の功利的な建築様式を示している。それらが、ケントやオークランドあるいはニューハンプシャーといった所に置かれたとしても、年代的には少しも違和感はないであろう。けれど、これらの一画の上にある、この段丘とそこを耕している農民たちは、ずっと旧態のままであり、はるか古の五世紀あたりの姿と同じといっても過言ではないようだ。私が読んだ墓石に刻まれた文字は、梵語で表記されている。私の傍には、台座に座ったブッダの像があるが、一六世紀の加藤清正時代の頃のものだという。その思索的な凝視は、半眼の目蓋の間から官立の五高とそこでの喧噪な生活とを見下ろしている。石仏は、危害を蒙っても復讐しない、穏やかな人たちの微笑みを表わして完爾としておられる。この表情は仏師が彫ったものではなく、幾星霜も経た苔や埃のためにできたものである。また、その両手も欠けていることに気がついた。私は気の毒に思って、頭部にある小さなシンボリックな突起である螺髪の苔を取り除いてやろうとした。というのは「法華経」の古い経文を思い出したからである。
その時、仏、眉間白毫相の光を放ちて、東方万八千の世界を照らしたもうに、周遍せざることなし。下、阿鼻地獄に至り、上、阿迦尼咤天に至る。此の世界に於て尽く彼の土の六趣の衆生を見、又彼の土の現在の諸仏を見る。
2
日は高く、私の後ろにある。眼の前の眺めは、日本の古い絵本にあるのとそっくりだ。日本の古い絵本には、決まりとして影は描かれない。肥後平野も影ひとつとてなく、緑が地平線の彼方まで広がっている。そこで…