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青い風
あおいかぜ
作品ID55395
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「徳田秋聲全集 第16巻」 八木書店
1999(平成11)年5月18日
初出「新潮 第二十六年第十号」1929(昭和4)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2022-12-23 / 2022-11-26
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 古くから馴染のあるこの海岸へ、彼は十年振りで来て見た。どこもさうであるやうに、ここも震災で丸潰れになつて、柱に光沢の出てゐるやうな家は一つも見当らなかつた。町はどこもがさがさしてゐたが、しとしとした海風は、やつぱり懐しかつた。脚の不自由な人があるので、家を出て自動車に乗るにも、駅へ来てプラツトホームへ出て行くにも、家族的旅行の楽しさの一半は減殺される訳であつたが、それはそれとして、兎に角三年目に彼自身子供たちに附添つて行かれることは、彼等に取つて久しぶりの悦びであつた。彼は昨年も一昨年も懇意な旅館へ子供たちを預けておいた。大胆といふよりか、寧ろ惨酷な家庭破壊を三年間もつづいてやつてゐる、一人の子供の襲来を妨ぐことは、傭人には出来ないことであつた。
「今年だつてあの男が少しでも、何かの手助けになるやうだつたら……」彼は思はずにはゐられなかつた。実際何か事のあるをりには、今の人数では彼一人では手不足であつたが、彼も段々主婦のない家庭を整理することに馴らされて来てゐた。そして一人で箪笥や葛籠の底から、台所の隅まで一切を統制することが、結局、誰を当てにするよりも安心で興味のあることを感じてゐた。ほつそりした長女もいつかさう云ふ方に気を配るやうになつてゐた。
「今年は山にしようか、それとも海にしようか、皆んなは何う!」彼は時々子供部屋へ顔を出してきいた。
「わたし海よ。」小さい京子はいつも決定的であつた。
「さうお前は海?」
「山は大人の人と歩いてばかりゐて詰んないんですもの。」
 その言葉が去年四五日ゐた軽井沢を彼に思ひ出させた。
「僕はどつちかといふと山がいいけれど、しかし海岸だつて同じだ。海へは出られませんから。」
 去年海岸から帰つて以来、腰の関節に結核性の骨膜炎を患つて、昼も夜もづつと長椅子に横はつてゐる三男が言つた。
 長女の春代や四男の真には、別に意見はなかつた。春代は一人で残つて家を守らうとさへ思つてゐた。一ト夏小さい妹のお友達になつてゐることも、少しづつ生活に目ざめかけようとする彼女には、時とすると退屈であつたが、姉なしには半日もゐられない京子を、男達にのみ預けておく気もしなかつた。
 子供と一緒に一ト夏を暮らして見ようと思ふ海辺を、さて何処に択んでいゝかも、彼には決定しかねることであつた。彼はこの頃表皮的な都会文明に厭気がさしてゐた。総ての点で都会生活の行詰りを彼自身感じてゐた。都会悪の延長でしかない、近い海岸へなぞ行きたいとは思はなかつた。
「せめて三四時間出るところでなくちや、旅行したやうな気がしないや。」足の悪い児のさう云ふ意見が彼と一致した。
 或日彼は房総の海岸で、危険の比較的少ない、そして脚の悪い児の退屈しないやうな、知辺のある場所を物色しようと思つて、到頭やつぱり此の海岸へ来てしまつた訳であつた。
 彼は夕凉に東京を立つて、夜の九時…

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