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草いきれ
くさいきれ
作品ID55396
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「徳田秋聲全集 第16巻」 八木書店
1999(平成11)年5月18日
初出「新潮 第二十四年第十号」1927(昭和2)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2021-02-01 / 2021-01-27
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 漁船などを[#挿絵]つて、××会の同志の若い人達六七人と、若鮎の取れる××川に遊んでの帰り、郊外にあるI―子の家へ三四の人を誘つて行つた頃には、鮎猟の真中に一時しよぼ/\と雨をふらしてゐた陰鬱な梅雨空にもいくらか雲の絶え間が出来て、爽かな星の影さへ覗いてゐた。
 I―子はその頃転地先を引揚げて、そこにひそやかな隠れ家のやうな家を一軒もつてゐた。木香の由かしい、天井の高い、床や違棚の造り方の、厭な気取のないところに古雅な趣きをもつた奥の八畳が、この頃初めてI―子に誘はれて来たときから、杉田の気に入つてゐた。そこは杉田が時々仕事をもつて遊びに来るやうにと、余り人目につかないやうな処を択んで、I―子の子供の師匠である舞踊家のF―さんが捜してくれた家であつた。子供思ひのI―子のために、F―さんが自分の家の近くにとの心遣のあつたことは勿論であつた。
 往来からそれて爪先きあがりに四五間坂を上つたところの、樹木の影の深いところに門があつた。そして玄関から上つて、籐椅子などのある応接室の外に通つてゐる廊下を行くと、その座敷の廻り縁へと出るのであつた。K―君M―君、それからN―子さんなどが、一日の清遊に疲れた躰を、小さい餉台のまはりに取つた座蒲団のうへに休めて、紅茶に砂糖をいれたり、煙草を吸つたり、枇杷を摘んだりした。
「いゝわね。気取つてゐるぢやないの。」N―子さんは室内を見廻はしてゐた。
「いゝえ、だつてY―さんなんか立派な文化住宅にお住ひになつてゐるぢやないの。」
 I―子は友達の来たことを、ひどく嬉れしがつて、そこらを取片着けたり、土産に籠にして来た鮎をF―さんへ持たせてやつたり、何か早速間に合ふやうな手軽な晩飯をと、留守をしてゐた若い洋画家のK―子さんに丼を誂へるやうに吩咐けたりして、そわ/\してゐた。
「私あんなもの追てたけれど、矢張り日本趣味が好いと思ふわ。町なかへ引越さうかとも思つてゐるの。」彼女は洋装の膝を少し崩して、慎ましやかに煙草の煙を吹いてゐた。
 やがて陽気な談笑のうちに食事が初まつた。
 縁先きには近頃植えたばかりの木の影が濃く重なり合つて、一部だけが電燈の光を受けて、葉がつる/\してゐた。
 皆んなは話興が湧いて、そのまゝ別れるのが飽足りなく感じられた。
「どこかへ行きたいわね、二次会に……。」N―子さんが言ひ出した。
「どつかへ行きませう。」I―子もはづんだやうに顔を耀かせて言つた。
「僕んとこへ行かう。」杉田は発議した。
「先生の家なんか、いつでも行けるから詰らないわ。私色々なとこ見たいわ。先生は以前M、N―さんなんかと吉原へ入らしたことがあるんですてね。」
「さあ。行つたといふほども行かないけれど、地震前に二三度、M、N―君とT―君と三人づれで老妓の歌なんか聴きに行つたことはある。けど、今は知つたお茶屋もないから。」
「わたし一度つれて…

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