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聖家族
せいかぞく
作品ID55420
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年5月28日
初出「改造 第十二巻第十一号」1930(昭和5)年11月
入力者大沢たかお
校正者岡村和彦
公開 / 更新2012-11-23 / 2014-09-16
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 死があたかも一つの季節を開いたかのやうだつた。
 死人の家への道には、自動車の混雜が次第に増加して行つた。そしてそれは、その道幅が狹いために、各々の車は動いてゐる間よりも、停止してゐる間の方が長いくらゐにまでなつてゐた。
 それは三月だつた。空氣はまだ冷たかつたが、もうそんなに呼吸しにくくはなかつた。いつのまにか、もの好きな群集がそれらの自動車を取り圍んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓に鼻をくつつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのなかでは、その持主等が不安さうな、しかし舞踏會にでも行くときのやうな微笑を浮べて、彼等を見かへしてゐた。
 さういふ硝子窓の一つのなかに、一人の貴婦人らしいのが、目を閉ぢたきり、頭を重たさうにクツシヨンに凭せながら、死人のやうになつてゐるのを見ると、
「あれは誰だらう?」
 さう人々は囁き合つた。
 それは細木と云ふ未亡人だつた。――それまでのどれより長いやうに思はれた自動車の停止が、その夫人をさういふ假死から蘇らせたやうに見えた。するとその夫人は自分の運轉手に何か言ひながら、ひとりでドアを開けて、車から降りてしまつた。丁度そのとき前方の車が動き出したため、彼女の車はそこに自分の持主を置いたまま、再び動き出して行つた。
 それと殆ど同時に人々は見たのだつた。帽子もかぶらずに毛髮をくしやくしやにさせた一人の青年が、群集を押し分けるやうにして、そこに漂流物のやうに浮いたり沈んだりして見えるその夫人に近づいて行きながら、そしていかにも親しげに笑ひかけながら、彼女の腕をつかまへたのを――
 その二人がやつとのことで群集の外に出たとき、細木夫人は自分が一人の見知らない青年の腕にほとんど靠れかかつてゐるのに、はじめて氣づいたやうだつた。彼女はその青年から腕を離すと、何か問ひたげな眼ざしを彼の上に投げながら、
「ありがたうございました」
 と言つた。青年は、相手が自分を覺えてゐないらしいことに氣がつくと、すこし顏を赤らめながら答へた。
「僕、河野です」
 その名前を聞いても夫人にはどうしても思ひ出されないらしいその青年の顏は、しかしその上品な顏立によつていくらか夫人を安心させたらしかつた。
「九鬼さんのお宅はもう近くでございますか」と夫人がきいた。
「ええ、すぐそこです」
 さう答へながら青年は驚いたやうに相手をふりむいた。突然、彼女がそこに立ち止まつてしまつたのだ。
「あの、どこかこのへんに休むところはございませんかしら。なんだかすこし氣分が惡いものですから……」
 青年はすぐその近くに一つの小さなカツフエを見つけた。――そのなかに彼等がはひつて見ると、しかしテエブルは埃のにほひがし、植木鉢は木の葉がすつかり灰色になつてゐた。それをいまさらのやうに青年は夫人のために氣にするやうに見えたけれど、夫人の方ではそれをそれほ…

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