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![]() とりりょうり |
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作品ID | 55422 |
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副題 | A Parody ア パロディ |
著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年5月28日 |
初出 | 「行動 第二巻第一号」1934(昭和9)年1月 |
入力者 | 大沢たかお |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2012-11-30 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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前口上
昔タルテイーニと云ふ作曲家が
Trillo del Diavoloと云ふソナータを
夢の中で作曲したといふ話は
大層有名な話である故、
讀者諸君も大方御存知だらうが
一寸私の手許にある音樂辭典から引用して見ると、
何でもタルテイーニは或晩の事、
自分の靈魂を惡魔に賣つた夢を見たさうな。
その時惡魔がヴアイオリンを手にとつて
いとも巧に彈奏し出したのは
到底彼の企て及ばざりし奇しき一曲。
「余は前後を忘れて驚嘆したり。
余の呼吸は奪はれたり。
而して余は夢より目覺めぬ。
余は余のヴアイオリンを取り出でて
余が聞きたる音調をそれに止め置かんと試みたり。
されどそは遂に效を奏さざりき。
其時余が作りたる樂曲、即ちTrillo del Diavoloは
余が夢中聞きたるものと比較せば、
其及ばざること甚だ遠し。」
これは晩年大作曲家自らが
彼の友人の天文學者ラランドに洩らした感慨ださうな。
さて、左樣なタルテイーニが感慨はさることながら、
微々たる群小詩人の一人に過ぎぬ私も
夢の中で二三の詩の構想を得た許りに、
何んとかしてそれに形體を與へようと隨分苦しみ[#挿絵]いたものだ。
しかし夢中ではあんなに蠱惑的に見えた物語の筋も、
目覺めてみれば既にその破片しか殘つては居らず、
何度私はそれ等の破片を、朝毎に
海岸に打ち揚げられる漂流物のやうに
唯手を拱いて悲しげに眺めたことか。
「ああ、夢の中の詩人の何んと幸福なことよ。
ああ、それに比べて現實を前にした詩人の何んと慘めなことよ。」
そんな溜息を洩らしながら昨夜も私は寢床に這入つた。
實は雜誌記者が夕方私の所にやつて來て
どうでも明日までに原稿を書いて貰はねば困ると云ふのである。
私は徹夜をしても屹度間に合はせると約束をして其奴を撃退してやつたが、
それからすぐ睡くなつて、「これあ不可ん。かうして
居るよりか、ひとつ夢でも見て詩の良導體になつてやらう。」
さう考へながら寢床に這入り、私はその儘他愛もなく眠つてしまつた。
それから何やらごたごたと澤山夢は見たけれど、
今朝目を覺ましたら皆忘れて居た。
勝手にしやがれ、と私は糞度胸を据ゑて
黒珈琲を飮みかけようとした途端に、こんな事を思ひついた。
「己の書かうと思つてゐる夢のコントの中では魔法使ひの婆さんが
鳥の骨ばかりになつた奴にソオスをぶつかけて
そいつを己に食はせやあがつたが、
あれはあれでちよつと乙な味がしたぞ。
己もひとつその流儀で行かうか知らん。
己のやくざな夢の殘骸にウオタアマン・インクをぶつかけてやつたら、
何とかそれなりに恰好がつくかも知れぬ。
よし、それで行かう……」
1 奇妙な店
私の見る夢には大概色彩がある。さういふ夢を見るのは神經衰弱のせゐだと教へて呉れる人が居る。そんなことはどうだつていい。唯、私の見る色彩のある夢にも二種あ…