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麦藁帽子
むぎわらぼうし |
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作品ID | 55424 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第一卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年5月28日 |
初出 | 「日本國民 第一巻第五号」日本國民社、1932(昭和7)年9月号 |
入力者 | 大沢たかお |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2012-12-03 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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私は十五だつた。そしてお前は十三だつた。
私はお前の兄たちと、苜蓿の白い花の密生した原つぱで、ベエスボオルの練習をしてゐた。お前は、その小さな弟と一しよに、遠くの方で、私たちの練習を見てゐた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。飛球があがる。私は一生懸命に走る。球がグローブに觸る。足が滑る。私の體がもんどり打つて、原つぱから、田圃の中へ墜落する。私はどぶ鼠になる。
私は近所の農家の井戸端に連れられて行く。私はそこで素つ裸かになる。お前の名が呼ばれる。お前は兩手で大事さうに花環をささげながら、駈けつけてくる。素つ裸かになることは、何んと物の見方を一變させるのだ! いままで小娘だとばかり思つてゐたお前が、突然、一人前の娘となつて私の眼の前にあらはれる。素つ裸かの私は、急にまごまごして、やつと私のグローブで私の性をかくしてゐる。
其處に、羞かしさうな私とお前を、二人だけ殘して、みんなはまたボオルの練習をしに行つてしまふ。そして、私のためにお前が泥だらけになつたズボンを洗濯してくれてゐる間、私はてれかくしに、わざと道化けて、お前のために持つてやつてゐる花環を、私の帽子の代りに、かぶつて見せたりする。そして、まるで古代の彫刻のやうに、そこに不動の姿勢で、私は突つ立つてゐる。顏を眞つ赤にして。……
1
夏休みが來た。
寄宿舍から、その春、入寮したばかりの若い生徒たちは、一群れの熊蜂のやうに、うなりながら、巣離れていつた。めいめいの野薔薇を目ざして。……
しかし、私はどうしよう! 私には私の田舍がない。私の生れた家は都會のまん中にあつたから。おまけに私は一人息子で、弱蟲だつた。それで、まだ兩親の許をはなれて、ひとりで旅行をするなんていふ藝當も出來ない。だが、今度は、いままでとは事情がすこし違つて、ひとつ上の學校に入つたので、この夏休みには、こんな休暇の宿題があつたのだ。田舍へ行つて一人の少女を見つけてくること。
その田舍へひとりでは行くことが出來ずに、私は都會のまん中で、一つの奇蹟の起るのを待つてゐた。それは無駄ではなかつた。C縣の或る海岸にひと夏を送りに行つてゐた、お前の兄のところから、思ひがけない招待の手紙が屆いたのだつた。
おお、私のなつかしい幼友達よ! 私は私の思ひ出の中を手探りする。眞つ白な運動服を着た、二人とも私よりすこし年上の、お前の兄たちの姿が、先づうかぶ。毎日のやうに、私は彼等とベエスボオルの練習をした。或る日、私は田圃に落ちた。花環を手にしてゐたお前の傍で、私は裸かにさせられた。私は眞つ赤になつた。……やがて彼等は、二人とも地方の高等學校へ行つてしまつた。もうかれこれ三四年になる。あれからはあんまり彼等とも遊ぶ機會がなくなつた。その間、私はお前とだけは、屡々、町の中ですれちがつた。何にも口をきかないで、ただ顏を赧らめ…