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汽車で逢つた女
きしゃであったおんな
作品ID55432
著者室生 犀星
文字遣い旧字旧仮名
底本 「黒髮の書」 新潮社
1955(昭和30)年2月28日
初出「婦人公論 第39巻第10号」中央公論社、1954(昭和29)年10月1日
入力者磯貝まこと
校正者待田海
公開 / 更新2019-03-26 / 2019-02-22
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二丁目六十九番地といふのは、二軒の家を三軒にわけたやうな、入口にすぐ階段があつて、二階が上り口の四疊半から見上げられる位置にあつた。打木田が突立つて、戸越まさ子といふんですがと女の名前をいふと、二階の障子がものしづかに開いて、女の顏が顎から先きに見え、紛ふ方もない汽車で逢つたまさ子であつた。
 打木田は、やあ僕やつて來ましたよ、と笑ひ顏を向けると、女は、あら、ほんとによく來てくだすつたわね、といひ、お内儀らしい中年女にお客樣だわ、お上げしていいでせうといつた。いいとも、皆に降りて貰へばよいと機嫌好くさばいて、あんたおあがんなすつて、と階段を眼先であんないして、いつた。それと同時に、女の出て來た部屋から三人の女が、一どきに階段を降りて來た。いらつしやいましと口々にいふと、次の間にこぼれ込んで行つた。どの女もわかくてでぶで、氣立の好い笑顏を見せてくれたので、打木田は好意のあるぺこぺこしたお辭儀をつづけた。
「よく來てくだすつたわね、あれつきりかとも思つてゐたのよ。」
「此處らの番地はみな同じだね、さんざ搜して歩いたんです。」
「さう、わるかつたわね、ご挨拶も未だだわね、いろいろその節はごしんせつ樣にして頂いて。」
「お禮は僕の方でしなければなりませんね、あんたはこんな處にゐる人だつたの。」
「ええ、はづかしいわ、だつて仕方がないんですもの。」
「こんな處にでもあんたがゐなかつたら、會へはしないわけですね、ビールが飮みたいんだが。」
 女はビールと南京豆の袋を持つて來た。打木田は支那饅頭の包みをひろげ、女はよく氣がついたわねといつたが、上野で一緒に食べようと思ひついて、買つて來たのだといつた。女は美味さうに支那饅頭を食べはじめたが、打木田はビールを息もつかずに、飮むとああうまいといつた。その飮み振りはどこか、がつがつ以上のものがあり、洋杯をささげて拜んでゐるみたいなものすら、あつた。
「まあ、お美味しさうね、汽車の中でお辨當お召りになつたときと同じだわ、まるで山の中から出て來た人みたいよ。」
「さう見える?」
 打木田は爭へない自分の風體を感じ、こいつあ氣を付けなくちやと、こんどは洋杯をおもむろに口に持つて行つた。
「さう、そんなふうにおビールはあがるものよ。」
 打木田は氣がついて、階下へとほす金は幾らだといつたが、女はゆつくりなさるおつもりだらうからと、金の額を示したが、打木田はその金を女に手渡した。お金なぞいただいてわるいのですけれど、こんな商賣をしてゐるものですからと、女は階下からあがつてくると、晩までいらしつていいわといつた。打木田は割引してある晩までの金も、ついでに女に渡した。永い服役で積まれた金が、この女の手に渡ることでは、少しもケチな氣にはならずに、金で女のからだの時間を自分のものにすることで、あまい融けるやうな氣持だつた。汽車の中で偶然に會ひ、…

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