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背負揚
しょいあげ
作品ID55437
著者徳田 秋声
文字遣い新字旧仮名
底本 「徳田秋聲全集 第7巻」 八木書店
1998(平成10)年7月18日
初出「趣味 第三巻第一号」趣味社、1908(明治41)年1月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2022-11-18 / 2022-10-26
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

鐘の音さへ霞むと云ふ、四月初旬の或長閑な日であつた。
私は此春先――殊に花見頃の時候になると、左右脳を悪くするのが毎年のお定例だ。梅が咲いて、紫色の雑木林の梢が、湿味を持つた蒼い空にスク/\透けて見え、柳がまだ荒い初東風に悩まされて居る時分は、濫と三脚を持出して、郊外の景色を猟つて歩くのであるが、其が少し過ぎて、ポカ/\する風が、髯面を吹く頃となると、もう気が重く、頭がボーツとして、直と気焔が挙らなくなつて了ふ。
今日のやうな天候は、別しても頭に差響く。私は画を描くのも可厭、人に来られるのも、人を訪問するのも臆劫と云つた形で――其なら寝てゞもゐるかと思ふと、矢張起きて、机に坐つてゐる。而して何か知ら無駄に考へてゐる。
私は去年の冬妻を迎へたばかりで、一体双方とも内気な方だから、未だ心の底から打釈けると云ふ程狎れてはゐない。此四五月と云ふものは、私に取つては唯夢のやうで、楽しいと云へば楽しいが、然とて、私が想像してゐた程、又人が言ふほど、此が私の一生の最も幸福な時期だとも思はぬ。或はラブがなかつた故かも知れぬ。妻が未だ心から私に触れて来るほど、夫婦の愛情に[#「愛情に」は底本では「愛情は」]脂が乗つて居ない故かも知れぬ。其とも此様なのが実際に幸福なので、私の考へてゐた事が、分に過ぎたのかも知れぬ。が、これで一生続けば先無事だ。熱くもなく冷くもなし、此処らが所謂平温なのであらう。
妻はお光と云つて、今歳二十になる。何かと云ふものゝ、綺緻は先不足のない方で、体の発育も申分なく、胴や四肢の釣合も幾ど理想に近い。唯少し遠慮勝なのと、余り多く口数を利かぬのが、何となく私には物足りないので、私が其であるから尚更始末が悪い。が、孰かと云へば、愛嬌もある、気も利く、画の趣味も私が莫迦にする程でもない。此と云ふ長所も面白味もないが、気質は如何にも丸く出来てゐる。其体と同じく、人品も何となく触りがフツクリしてゐる。其も其筈、実家は生計向も豊かに、家柄も相当に高く、今年五十幾許かの父は去年まで農商務省の官吏を勤め、嫡子は海軍の大尉で、今朝日艦に乗組んで居り、光子は唯た一人の其妹として、荒い風を厭うて育てられた極めて多幸な愛娘である。
今日は実家へ行つた其留守なのである。
時計は今二時を打つたばかり。千駄木の奥の此の私の家から番町までゞは、可也遠いのであるが、出てからもう彼此一時間も経つから、今頃は父と母とに右と左から笑顔を見せられて、私が此頃計画しつゝある画室の事など話して居るであらう。と思ふと、其事に頭脳が惹入れられて、様々な空想も湧いて来る。昼過から少し出て来た生温い風が稍騒いで、横になつて見てゐると、何処かの庭の桜が、早や霏々と散つて、手洗鉢の周の、つは蕗の葉の上まで舞つて来る。先刻まで蒼[#ルビの「あを」は底本では「あお」]かつた空も、何時とはなし一面に薄曇つて、其処らが急…

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