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「ソーンダイク博士」序文
ソーンダイクはかせじょぶん
作品ID55453
著者フリーマン リチャード・オースティン
翻訳者妹尾 アキ夫
文字遣い新字新仮名
底本 「世界推理小説全集二十九巻 ソーンダイク博士」 東京創元社
1957(昭和32)年1月10日
入力者sogo
校正者山本洋一
公開 / 更新2022-04-19 / 2022-03-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私はこの作品集のなかの作品を、「倒叙小説」と「直接小説」の二つに分けたが、この分類のしかたについては、一口いっとかなければならない。
 もともと、推理小説というものは、興味の中心が知的であるという点で、ほかのいっさいの小説とちがうのである。むろん、推理小説のなかにも、感情だとか、劇的な行動だとか、ユーモアだとか、哀感だとか、恋愛だとかの要素はふくまれているだろうが、推理小説ではそんなものはアクセサリー的存在にすぎないので、よしんば、そんなものをかなぐりすてたとしても、本質的興味は、すこしも損われないのである。
 では、推理小説で必要欠くべからざるものは、いったいなんであるかといえば、それは謎とその解決であって、それが賢明な読者に、知的体操とでもいうべき快感を味わわせるのである。
 だが、その快感を味わわせるためには、推理小説はつぎの三つの条件をそなえていなければならぬ。
(一) その謎は、当らずといえども遠からずという程度に、読者にもすこしは解決できるように提出されなければならない。
(二) 探偵の口をかりて説明する作者の解決は、誰にでもうなずける、完全で、決定的なものでなければならぬ。
(三) 推理の材料を読者にかくしてはならない。解決を説明するまえに、あらゆる持札を、全部正直にテーブルのうえに並べなければならない。
 この三つの条件、わけても(三)の条件をつくづく考えているうち、私は数年前面白い疑問をおこした。それは、「歌う白骨」の序文にもかいたが、最初から読者が作者とおなじ程度のことを知り、じっさいに作者といっしょに犯罪を見、読者が推理に必要な、あらゆる材料を知っているというような推理小説が、ほんとにかけるものだろうか? 読者がすべてを知ってしまったら、もう話すことは、なくなるのではないだろうか? 私はこの疑問にたいして、いや、話すことはなくならないと考えた。そして、その信念を試験するためにかいたのが、「オスカー・ブロズキー事件」なのである。ごらんのとおり、この作では話の順序が逆になっている。読者は、すべてをしっているが、作中にあらわれる探偵は、なんにもしらないのである。そして、読者の興味は、なんでもない、ささいな事柄にふくまれた、意外な意味に集中される。
 そして、この作は、ピアスン誌の編集者はいうにおよばず、大西洋の東と西の批評家から高く評価された。それで、私はそうした倒叙小説をその後もしばしばかいた。この作品集には、そんな倒叙小説も加えておいた。こんな型の話を愛する読者は、こんなに犯罪編と推理編とを、順序をかえてとりあつかっても、話全体の知的興味をそこなわないばかりか、かえってそれが増すものだということを認めてくれることと思う。前半の犯罪編を読んだあとですぐ後半の推理編にうつらず、自分の知っている事柄の、証拠としての価値を考えてみたあとで後半に…

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