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神のない子
かみのないこ
作品ID55613
著者室生 犀星
文字遣い旧字旧仮名
底本 「はるあはれ」 中央公論社
1962(昭和37)年2月15日
初出「文藝春秋」文藝春秋新社、1961(昭和36)年10月1日
入力者磯貝まこと
校正者岡村和彦
公開 / 更新2021-03-26 / 2021-02-26
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ミツは雨戸に鍵をかけて出かけたが、その前に勘三も仕事に出かけた。
 あん子は晝まで表に出て、土橋の石に日の當る光の加減を見て、母親が食事の用意に歸つて來るすがたを、町端れから、町の方に眺めた。ミツは雨戸を開けあん子に飯を食べさせ、自分も食べ、やはり晝に戻る勘三にも食べさせた。
 三人の食事が終ると、あん子はまた表に出た。母親のミツは雨戸に鍵をかけあん子に眼もくれないで町の方に往つた。あん子が何時も閉め出されてゐるのは、家の物品を持ち出さない要心と、火の用心も兼ねてゐたのだ。
 あん子は家の周圍と、裏の低い山、瘠せた川のあひだで何時も一人で遊んだ。家の裏手とか腰板つづきの、人の氣づかない處で石をつみ重ね、板切れで家のやうな物を建てて夕方には毀して去つた。あん子は八歳になり十歳になり十三歳になつた。
 九歳の時に裏山に拉れこまれた。
 あん子はその青年の言ひなりのことをしてやつただけで、亂暴はうけなかつた。青年は後も振りかへらずに山を下りて往つて、それを見送つたあん子はその翌日もその場所にゆき、其處の草の上に坐つて町の背後にあるキラキラする海の景色を眺めた。間もなく暖かい水に變らうとする海づらは、いつになく眩しすぎるやうであつた。青年があとをも見ずに往つたことが、そんなふうにするのが恥づかしいためだらうと思つた。その翌日も、翌々日も芒のでかい株のある窪地にいつてみたが、海は益々眩しく青年は何處にもぶらついてゐなかつた。
 好んで川をぢやぶぢやぶ渡ることの好きなあん子は、もう十四歳になつた。あん子が川を渡ると、水が白くちぢれ裂かれて、川底に達したかがやきが再び亦あん子の大腿部に飛びついて、さらに水の上に還つてくだけた。
 あん子が腰をおろす山の苔場では、みみずが苦しげに呼びつづけた。誰だ、重い、上から押すのは誰だ、と。あん子はこの非透明なみみずといふもののからだが、こはかつた。だから匍ひ出してくると飛び退いて、乾いた石の上に腰をおろし直した。それほど、あん子の成長はみづみづしく大きかつた。あん子は何時も癖になつてゐるおもちやを投げ棄てた。みぢかい竹切れか棒でなければ、美しい小包の紐だつたが、それを持たなくなり、もう十五歳になつた。
 大概の日の夕食後は若い母の肩をちから一杯叩くことで、揉みほぐす肩凝り療治があん子のしごとであつた。百姓家の野良の手傳ひはこの烏賊肌のミツの密集したあぶらを、カチカチに凝りあげてゐた。ミツは手ぬるいあん子の肩叩きに、少しでも早くぢかにほぐれるやうに、肌脱ぎになつてぴちやぴちや叩かせた。三十六歳の膨大な肌を一そう廣げるやうにして、ミツは、もつと強く力をいれて叩けとあん子を急き立てた。
 勘三は二梃の鎌に同じ二丁の木鋏に砥石を當てては、これが女房かといふ顏附で、ミツの肌脱ぎを客觀的に折々打ち眺めた。どれだけやつても女の肌は減ることがない、…

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