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はるあはれ
はるあわれ |
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作品ID | 55617 |
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著者 | 室生 犀星 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「はるあはれ」 中央公論社 1962(昭和37)年2月15日 |
初出 | 「新潮」1961(昭和36)年7月1日 |
入力者 | 磯貝まこと |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2014-06-29 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 38 ページ(500字/頁で計算) |
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むかし男がゐた。むかしと云つても、五年前もむかしなら、十年前の事もむかしであつた。その男はうたを作り、それを紙に書いて市で賣つてたつきの代にかへてゐた。うたは大してうまくなかつたが、依頼者は悉く女達であつたからどうやらそのまま通つて、毎日一人くらゐの客があつて食ふことが出來てゐた。客はそのうたに詠みこむための事情とか憐憫、戀愛、反抗なぞのありきたりの樣々なめんだうな話をして、おしまひにみんなは言ひあはせたやうに何もいまさら、うたなぞ作つていただいてもどうにもならないが、あなたがさうやつてお客樣がなかつたらお困りであらうと、けふもお訪ねしたのだと言つて、まるで男に食べ料を置いて行くことが好意のあらはれでもあるふうであつた。男は客の置いて行つた紙包から乏しい金をひらいて、言ひあはしたやうな同じ額の金を紙入にしまひ込んだ。それらの金で男は二日か二日半くらゐ食ふことが出來た。うたを作つて賣り乏しくとも金になれば男はしあはせであつた。毎日いらいらして澤山の小説を書いて金を取るよりも、氣のらくなうたを書いてゐたはうが、朝起きるときにもすがすがしくその日をむかへることが出來たからである。
男は丘のやうな道路わきの、入口が五六段になつて踊り場のある、僅かな混凝土の空地に書卓を置いてゐた。其處からすぐに十二三段もある大谷石の段々が截り立ち、さらにそのてつぺん近くに踊り場があつて七八段の終着段があつた。落花の季節で櫻が段々のすみずみに吹き寄せられ、波打際の夜明けの景色が其處に見られた。そよかぜは芳はしく暖かさは頬の内からこもつた。男は先刻から丹念にうたを書き、それを訂正しながら讀んだ。男の永い間の好んだ女の人の歴史はことごとく同型であつた。色感も同樣の紅顏を外れたものは一つもなく、何時もそれらを見るには豐頬で血色のよい人ばかりであつた。摘草をしながら日光にのぼせたやうな顏で、そればかりに眼をつけてゐることにさすがに恥の思ひを認めた。第一號、第二號、第三號、第四號……と、かぞへてゐると、中で嚔をする娘がゐて、それが餘りに突然だつたので、みんなは僅かに可笑しくなつて笑つただけ、あとは元どほりの寫眞の顏のやうにまじめくさつてゐる。年齡は十八九歳から二十六七歳くらゐ、夫人二三人に娘五六人といふ順序であるが、紅顏にまじつて血色のない黄みのある蒼白顏の人が一人あつた。これは意外な顏立で男の心を動かす筈がないのに、この二十五六歳に見える人は勿論蒼白い顏をして、お愛想にも微笑はなかつた。洋紙と文房具を商ふ店の夫人であるが、或る僅かな時期にはすでに險のある色氣がきびしく一すぢ走つてゐるやうな顏立に、男は好意を持つた時代があつた。彼女にある性行の服從が晝間には巖肅めいたものを浮べ、さうすることで彼女が完全に性感からのがれ出てゐるやうな清らかさを見せてゐるそれであつた。聖母マリア型なのだ。何處か…