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帆の世界
ほのせかい |
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作品ID | 55618 |
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著者 | 室生 犀星 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「はるあはれ」 中央公論社 1962(昭和37)年2月15日 |
初出 | 「小説新潮」1960(昭和35)年12月1日 |
入力者 | 磯貝まこと |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2021-01-16 / 2020-12-27 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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私は女の裸體といふものをつねに怖れた。これは私のまはりに何時も不意に現はれては、わづかな時間のあひだに或ひは消え、そして見えなくなつた。その後で私はその怖れと驚きについて、詳しくどこがこのやうに私といふ人間を次第にこしらへ直すかをしらべた。その一個の裸體をどこかで見ると私はきつとまた別のはだかが見たい希みが起り、別のはだかを見るとその數を算へて見て私のまはりが大きく展がつてゐることを知つた。私は物識りになつたかはりに裸を見たといふことが人に話されないことであるから、頭の中にそれらが一杯にたまつてゐてどうにもならない状態になつてゐた。私はくはしく何處が一等美しいといふものを作り上げてゐるのか、その急所はどこにあるのかは考へても、もうろうとして能く判らない、臍や乳房といふ小さい場所ではなく、突きこんで言ふと體躯のきれめが空氣とのきれめになつてゐるところ、胸とか大腿部とかが形をなくして溶けたところに、美があるやうな氣がした。線とか線の續きのやうな粗末な現はれには、私の眼はとまらなかつた。そこから、すぐ、きれめの深さが空氣の透明なあひだにたつぷりと、もたれかかつてゐるところに、一さいの美があるやうな氣がした。重量の綾みたいなものだ、永遠にとどまることのない物の假睡のやうなものだ。
私は次から起る變動のある物體が、しだいに選ばれてくる視覺のすすみ方をも知つたが、それよりもつと先きに見たものが早くも滅びるといふことを知つたのは意外であつた。決して先きの日に見たものが其儘にとどまつてゐることが、なかつた。あたらしく起つたものと入れ代はり、きのふの現像だけが、次へ起るもののために、その日まで存在するだけの呆氣なさであつた。それは後に見た物がきつと前の物より美しい傾きがあるからである。
私はきれめを見きはめる前に、厖大な、單なるかたまりといふものを記憶してゐて、それが内部に螢光燈を入れてあるやうに見えてくるのが、私の常識的な見方であつた。それは私の考への工合によつて、かたまりの中から次第に一個の人間がつくられてゆき、むね、腰、足といふものが組み立てられて行くことには殆ど時間といふほどの時間を必要としない速さで、形成されてゐた。私はそんな物を考へる時に頭がよくはたらき、こまかいところまで見るといふことで、私は莫迦になつてゐるとは思はなかつた。それらを作り上げるための頭の組織は他人のもたないものだと信じ、他人にないもので恥かしい思ひならそれは外部に洩らすまいと思つたからだ。正直な人間である私は女のはだかを見たといふことを、嘗て一遍も友達にも他の人にも話をしたことがなかつた。商賣のためにからだを見せてゐるといふことは、私の方に祕密の在りどころがなくて面白くも何ともないが、見てはならない人とか決して見ることが出來ないやうな人のそれを、ただの偶然に見たといふこととは驚きの差異と度…