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この子
このこ |
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作品ID | 55669 |
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著者 | 樋口 一葉 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「樋口一葉全集第二卷」 新世社 1941(昭和16)年7月18日 |
初出 | 「日本之家庭」1896(明治29)年1月 |
入力者 | 万波通彦 |
校正者 | Juki |
公開 / 更新 | 2014-10-24 / 2014-09-15 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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口に出して私が我子が可愛いといふ事を申したら、嘸皆樣は大笑ひを遊ばしましやう、それは何方だからとて我子の憎いはありませぬもの、取たてゝ何も斯う自分ばかり美事な寶を持つて居るやうに誇り顏に申すことの可笑しいをお笑ひに成りましやう、だから私は口に出して其樣な仰山らしい事は言ひませぬけれど、心のうちではほんに/\可愛いの憎いのではありませぬ、掌を合せて拜まぬばかり辱ないと思ふて居りまする。
私の此子は言はゞ私の爲の守り神で、此樣な可愛い笑顏をして、無心な遊をして居ますけれど、此無心の笑顏が私に教へて呉れました事の大層なは、殘りなく口には言ひ盡くされませぬ、學校で讀みました書物、教師から言ひ聞かして呉れました樣々の事は、それはたしかに私の身の爲にもなり、事ある毎に思ひ出してはあゝで有つた、斯うで有つたと一々顧みられまするけれど、此子の笑顏のやうに直接に、眼前、かけ出す足を止めたり、狂ふ心を靜めたはありませぬ、此子が何の氣も無く小豆枕をして、兩手を肩のそばへ投出して寢入つて居る時の其顏といふものは、大學者さまが頭の上から大聲で異見をして下さるとは違ふて、心から底から沸き出すほどの涙がこぼれて、いかに強情我まんの私でも、子供なんぞ些とも可愛くはありませんと威張つた事は言はれませんかつた。
昨年の暮押つまつてから産聲をあげて、はじめて此赤い顏を見せて呉れました時、私はまだ其時分宇宙に迷ふやうな心持で居たものですから、今思ふと情ないのではありますけれど、あゝ何故丈夫で生れて呉れたらう、お前さへ亡つて呉れたなら私は肥立次第實家へ歸つて仕舞ふのに、こんな旦那樣のお傍何かに一時も居やしないのに、何故まあ丈夫で生れて呉れたらう、厭だ、厭だ、何うしても此縁につながれて、これからの永世を光りも無い中に暮すのかしら、厭な事の、情ない身と此やうな事を思ふて、人はお目出たうと言ふて呉れても私は少しも嬉しいとは思はず、只々自分の身の次第に詰らなくなるをばかり悲しい事に思ひました。
それですが彼の時分の私の地位に他の人を置いて御覽じろ、それは何んな諦めのよい悟つたお方にしたところが、是非此世の中は詰らない面白くないもので、隨分とも酷い、つれない、天道樣は是か非かなどゝいふ事が、私の生意氣の心からばかりでは有ますまい、必ず、屹度、何方のお口からも洩れずには居りますまい、私は自分に少しも惡い事は無い、間違つた事はして居ないと極めて居りましたから、すべての衝突を旦那さまのお心一つから起る事として仕舞つて、遮二無二旦那さまを恨みました、又斯ういふ旦那さまを態と見たてゝ私の一生を苦しませて下さるかと思ふと實家の親、まあ親です、それは恩のある伯父樣ですけれども其人の事も恨めしいと思ひまするし、第一犯した罪も無い私、人の言ふなり温順しう嫁入つて來た私を、自然と此樣な運に拵へて置いて、盲者を谷へ擠すやう…