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われから
われから
著者樋口 一葉
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝倶楽部 第二卷第六編」 博文館
1896(明治29)年5月10日
初出「文藝倶楽部 第二卷第六編」1896(明治29)年5月10日
入力者万波通彦
校正者Juki
公開 / 更新2019-11-23 / 2019-11-01
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#挿絵]一[#挿絵]

霜夜ふけたる枕もとに吹くと無き風つま戸の隙より入りて障子の紙のかさこそと音するも哀れに淋しき旦那樣の御留守、寢間の時計の十二を打つまで奧方はいかにするとも睡る事の無くて幾そ度の寢がへり少しは肝の氣味にもなれば、入らぬ浮世のさま/″\より、旦那樣が去歳の今頃は紅葉舘にひたと通ひつめて、御自分はかくし給へども、他所行着のお袂より縫とりべりの手巾を見つけ出したる時の憎くさ、散々といぢめていぢめて、困め拔いて、最う是れからは決して行かぬ、同藩の澤木が言葉のいとゑを違へぬ世は來るとも、此約束は決して違へぬ、堪忍せよと謝罪てお出遊したる時の氣味のよさとては、月頃の痞へが下りて、胸のすくほと嬉しう思ひしに、又かや此頃折ふしのお宿り、水曜會のお人達や、倶樂部のお仲間にいたづらな御方の多ければ夫れに引かれて自づと身持の惡う成り給ふ、朱に交はればといふ事を花のお師匠が癖にして言ひ出せども本にあれは嘘ならぬ事、昔しは彼のやうに口先の方ならで、今日は何處[#挿絵]處で藝者をあげて、此樣な不思議な踊を見て來たのと、お腹のよれるやうな可笑しき事をば眞面目に成りて仰しやりし物なれども、今日此頃のお人の惡るさ、憎くいほどお利口な事ばかりお言ひ遊して、私のやうな世間見ずをば手の平で揉んで丸めて、夫れは夫れは押へ處の無いお方、まあ今宵は何處へお泊りにて、昨日はどのやうな嘘いふてお歸り遊ばすか、夕かた倶部樂へ[#「倶部樂へ」はママ]電話をかけしに三時頃にお歸りとの事、又芳原の[#「芳原の」はママ]式部がもとへでは無きか、彼れも縁切りと仰しやつてから最う五年、旦那樣ばかり惡いのでは無うて、暑寒のお遣いものなど、憎くらしい處置をして見[#ルビの「せ」はママ]せるに、お心がつひ浮かれて、自づと足をも向け給ふ、本に商賣人とて憎くらしい物と次第におもふ事の多くなれば、いよ/\寢かねて奧方は縮緬の抱卷打はふりて郡内の蒲團の上に起上り給ひぬ。
八疊の座敷に六枚屏風たてゝ、お枕もとには桐胴の火鉢にお煎茶の道具、烟草盆は紫檀にて朱羅宇の烟管そのさま可笑しく、枕ぶとんの派手摸樣より枕の總の紅ひも常の好みの大方に顯はれて、蘭奢にむせぶ部やの内、燈籠臺の光かすかなり。
奧方は火鉢を引寄せて、火の氣のありやと試みるに、宵に小間使ひが埋け參らせたる、櫻炭の半は灰に成りて、よくも起さで埋けつるは黒きまゝにて冷えしもあり、烟管を取上げて一二服、烟りを吹いて耳を立つれば折から此室の軒ばに移りて妻戀ひありく猫の聲、あれは玉では有るまいか、まあ此霜夜に屋根傳ひ、何日のやうな風ひきに成りて苦るしさうな咽をするので有らう、あれも矢つ張いたづら者と烟管を置いて立あがる、女猫よびにと雪灯に火を移し平常着の八丈の書生羽織しどけなく引かけて、腰引ゆへる縮緬の、淺黄はことに美くしく見えぬ。
踏むに冷めたき板の間を引裾なが…

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