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![]() ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 55688 |
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副題 | 194 小便組貞女 194 しょうべんぐみていじょ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二十九卷 浮世繪の女」 同光社 1954(昭和29)年7月15日 |
初出 | 「面白倶樂部」1948(昭和23)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2017-02-23 / 2017-01-12 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、小便組といふのを御存じですかえ」
八五郎は長んがい顎を撫でながら、錢形平次のところへノソリとやつて來ました。
いや、ノソリとやつて來て、火のない長火鉢の前に御輿を据ゑると、襟元から懷手を出して、例の長いのを撫で廻しながら、こんな途方もないことを言ふのです。
「俺は腹を立てるよ、八。まだ朝飯が濟んだばかりなんだ、いきなりそんな汚ねえ話なんかしやがつて」
平次は妻楊枝ををポイと捨てて、熱い番茶を一杯、やけにガブリとやります。
「てへツ、汚ねえどころか、それが滅法綺麗だからお話の種で」
「何をつまらねえ。容顏美麗だつて、垂れ流す隱し藝があつちや附き合ひたくねえよ。馬鹿々々しい」
平次がかう言ふのも無理のないことでした。貞操道徳が全く弛廢してしまつて、遊女崇拜が藝術の世界にまで浸潤して來た幕府時代には、男の働きで妾を蓄へることなどは寧ろ名譽で、國持大名などは、その低能臭い血統の保持のために、江戸屋敷の正妻の外に國許に妾を置き、それを見慣ふ有徳な武家、好色の大町人は申すまでもなく、甚しきに至つては學者僧侶に至るまで、公然妾を蓄へて聊かも恥ぢる色がなかつたのです。
この風潮に應ずるために、一方にはまた妾奉公を世過ぎにする、美女の大群の現はれたのも當然の成行でした。尤も、その美女の群が、まともな人間ばかりである筈はなく、中には非常な美人で、たつた一と眼で雇主をすつかり夢中にさせてしまひ、何百兩といふ巨額の支度金を取つて妾奉公に出た上、鴛鴦の衾の中で、したゝかに垂れ流すといふ、大變な藝當をやる女もあつたのです。
どんな寛大な好色漢も、したゝかに寢小便を浴びせられては我慢のできるわけはなく、これは簡單に愛想を盡かされて、お拂ひになつてしまひます。素より一度やつた支度金は、暇をやつた妾から取戻すわけにも行きません。
かうして次から次へと渡り歩く美人を、貧乏で皮肉でおせつ介な江戸ツ子達は、小便組と呼んで、嘲笑と輕蔑と、そしてほんの少しばかり好意をさへ寄せてゐたのです。現に江戸の風俗詩川柳に、小便組を詠んだ洒落れた短詩が、數限りなく遺つてゐるのを見ても、その盛大さがわかります。
ガラツ八の八五郎が、朝つぱらから持つて來た話の種は、この美しき惡魔『小便組』の一人に關係した、世にも平凡で皮肉で、そのくせ捕捉し難き小事件です。
「ね、親分。その小便組の一人が、一向垂れないんで、騷ぎが始まつたとしたら、どんなものです」
八五郎はまだ顎を撫でてをります。
話があんまり下卑てゐるので、平次の女房のお靜も、さすがに恐れをなしたものか、熱い番茶を一杯、そつと八五郎の膝の側に滑らせて、默つてお勝手に逃げ込んでしまひました。
「何んだか、ひどく間拔けな話だなア、――良い若い者が、色氣がなさ過ぎるぜ。朝つぱらから小便の話なんか持込んで來やがつて」
「さう言はずに、まア聽…