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故郷七十年
こきょうしちじゅうねん
作品ID55742
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「故郷七十年」 のじぎく文庫、神戸新聞総合出版センター
1989(平成元)年4月20日
初出「神戸新聞」神戸新聞社、1958(昭和33)年1月9日~9月14日
入力者Nana ohbe
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-07-31 / 2018-06-27
長さの目安約 520 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

起筆の言葉




 神戸新聞は今年満六十年を迎えるという話である。人間でいえば還暦というわけであろう。ところが初めて私が生れ故郷の播州を出て関東に移ったのは、それより十年以上も古い昔のことであった。それから私の心身がだんだん育って行くにつれ、私の眼が全国的に拡がり、世界中のことにも関心を引かれるようになったことに不思議はない。しかしそれでも幼い日の私と、その私をめぐる周囲の動きとは八十余歳の今もなおまざまざと記憶に留って消えることはない。いつかそのころに筆を起し私自身の足跡とその背景とを記録するならば、或いは同時代の人たちにも、またもっと若い世代の人たちにも、何か為めになるのではないかというのが、かねてから私の宿志であった。
 幸いに時が熟したので、神戸新聞の要請をいれ、ここに「故郷七十年」を連載することにした。それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい。
(昭和三十三年一月八日)
[#改丁]

母の思い出に――序にかえて





 今頃おかしな話をするようだけれども、私は母の腰巾着、九州でいうシリフウゾ、越中の海岸地帯ではバイノクソなどと、皆にからかわれる児童であった。大きな三人の兄が遠くに出て居て、父も本ばかり見て居る人だったので、少しは独り言の聴き役のような地位に在ったからでもあろう。その癖横合いから少しでも不審を打つと、忽ちおまえはまだ子供やさかい、の一言を以て押さえられ、自分も亦自ら戒めて、そんなことは聴かせぬようにせられたようである。
 しかしあの頃の世相の変化には却って現代よりも複雑で、又烈しいものが多かった。以前は市や祭礼の日の為に具わって居た村の道路が、一旦国道に指定せられると、無理しても路幅をひろげ又まっすぐにして、成るべく遠望のきく場処に、所謂人力車の立場を設け、そこには里程表と籤を引く麻縄の束を引掛けて、仕事着に足ごしらえをした村の若者等が、何人か順番に出て待つことにして居た。電話も自転車もまだ発明せられぬ時代だったけれども、綱曳き後押し附きの大事な客人は、やはり前以て通知が出来るようになり、従って要処要処の大きな立場だけは、大抵はきれいな茶屋、又は旅館に従属するようになり、私などの七つ八つ頃には、もう少しずつ所謂脂粉の気がただよい始めて居た。母は悪い言葉を覚えて来ては困るという理由から、たとえば遠方から始めて来た人力の背なかに、どんな珍しい絵がかいてあるかを見に行くような時にも、見たらすぐ戻るという条件を付けることを忘れなかった。
 ところが不思議なことにはちょうど同じ頃から、私等三人の小児が夜分は母につれられて、この旅館へ風呂をもらいに行くことが始まった。きょうは御客が一人とか二人とか、又は誰も入られません、どうか御はいりにという使が来る。うちにも風呂場はあるのだが、ずっと小さくて黒くて、こちらの方が…

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