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日本文化と科学的思想
にほんぶんかとかがくてきしそう
作品ID55750
著者石原 純
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本記録全集9 科学と技術」 筑摩書房
1970(昭和45)年2月28日
入力者sogo
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2016-07-27 / 2016-06-19
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 種々の学術の中で科学、特に数学や自然科学は純粋に客観的なものであり、したがって最も国際的なものとして考えられてきたのはほとんど当然と見なされていたにもかかわらず、ひとたびドイツにおいてナチス政治がはじめられるにおよんで、その強烈な国粋主義の実現とともに、ユダヤ思想の排撃が行われ、ついに科学の民族性の主張が叫ばれ、ドイツ数学やドイツ物理学のごときが強調せられるに至ったのは、世界における一つの驚くべき思想的異変といわねばならない。
 ところで国粋主義のしょうどうは日本においても近時いちじるしく盛んであるのは、あたかもドイツに似ているともいわれるであろう。たとえここにはかのごとき政治的強圧は行われていないとはいっても、口に日本精神を称えないものはあたかも非国民であるかのごとくに見なされるばかりである。まことに恐ろしい世の中であるといわねばならない。だが、しかしわれわれはどこまでも冷静にこの日本精神なるものの内容を検討してゆくことを忘れてはならない。そこにはわれわれが今日ぜひとも必要とする科学的思想がどれほど含まれているのであるか。もしこれが十分でないとするならば、それはそもいかなる事情に由来するのであるか。これらに関する根本的な考察は、われわれの日本文化を将来において正しく導くために絶対に必要であって、かような考慮なしに単に国粋主義を固執するのはむしろはなはだ危険な思想的傾向であるとせねばならないであろう。
 私の見るところでは、日本精神といえども、その中には民族に固有な、いわば先天的な要素もあり得るであろうが、しかし同時に歴史的に日本文化が形作られて来た過程における環境によって支配された多くの要素をも含んでいるのである。それ故にすでに環境の異なる有様に到達した上では、われわれはむしろここに適応する精神内容を十分に発達させねばならないのであって、そうでなくては国家や民族の発展も期し得られないのは、これこそ進化学の普遍的原理である。環境のいかんにかかわらず、従来の精神思想を単にそのままに固守することを原理とするごとき国粋主義は、それの偏狭性と独断性とによって、やがてそれ自身を衰滅せしめるであろうことは、恐らく科学的に実証されるのである。すなわち国粋主義はそれの精神内容が現実の環境にどこまで適応するか否かをつまびらかに検討した上で、はじめてその価値を判断し得るのであって、これを欠いて単にそれに走ることは、あたかも断崖にむかって盲目的に突進すると同様の危険性をさえ包蔵すると考えられる。
 私は従来の日本文化が科学的思想においてきわめて貧困であったことをいいたかったのである。日本のみでなく支那やインドを含む東洋において何故に自然科学が興らなかったかということについては周到な検討を要すると思う。これをもって単に東洋精神のなかに科学的思想が欠けているということに帰するだけで…

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