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西の京の思ひ出
にしのきょうのおもいで |
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作品ID | 55761 |
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著者 | 和辻 哲郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「大和の古文化」 近畿日本叢書、近畿日本鉄道 1960(昭和35)年9月16日 |
入力者 | 岩澤秀紀 |
校正者 | 杉浦鳥見 |
公開 / 更新 | 2020-03-01 / 2020-02-25 |
長さの目安 | 約 25 ページ(500字/頁で計算) |
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老人の思ひ出話など、今の若い人にはあまり興味はあるまいと思はれるが、老人にとつては、思ひ出に耽ることは楽しいのである。さういふ楽しみに耽る機会を与へられた北島葭江先輩自身が、すでにいろ/\な思ひ出の種になる。
この春安倍能成君から電話がかゝつて来て、北島が訪ねて行くから、逢つて頼みを聞いてやつてくれといふことであつた。その時わたくしは北島さんの昔の顔を思ひ起すことが出来た。安倍君と同じ級であつたとすれば大学はちやうど入れ替りになるわけであるが、どこかでちよい/\顔を見たことがあつたのであらう。ところで来訪された北島さんは、八十近い老人であつた。昔の面影が残つてゐないわけではないけれども、昔の大学生とは大分感じが違つてゐた。聞いて見ると、大学は安倍君と一緒であつたが、年は安倍君よりも五つ六つ上だといふ。若い頃にはそれほどに思はなかつたが、今見るとわたくしよりもよほど長老に見える。さういふ長老のいはれることであるから、書く材料があらうとなからうと、とにかくいはれるまゝに原稿を引き受けざるを得なかつたのである。
ところで、いよ/\その原稿を書かなくてはならない時期になると、さて何を書いてよいか解らない。題目は「西の京の思ひ出」といふのであるが、わたくしは奈良の西の京について特別な思ひ出を持つてゐるわけでもない。どうしてわたくしにかういふ題目が割りあてられたのであるかと考へてゐるうちに、ふと思ひ出したのは、若い頃に書いた『古寺巡礼』のなかに、唐招提寺や薬師寺を見物した日の夕方、奈良の町へ帰る田畝道の上で、薬師寺の仏像とガンダラ美術との聯関についていろ/\と空想にふける箇所があることである。あれは「西の京での空想」であつて、「西の京の思ひ出」ではないが、しかし今から思ふと、わたくしにとつては曽て西の京からの帰り途の原中であゝいふ空想に耽つたといふこと自体が、西の京の思ひ出となるであらう。わたくしにこの題目が割り当てられたといふことの背後には、さういふ聯想が働いてゐるかも知れない。
しかしさうなるとわたくしは、若い者があゝいふ空想に魂の飛ぶ思ひをしたあの時代の特殊な雰囲気を、興味深く思ひ出さざるを得ない。それは北島さんが東大に在学してゐた時期とあまり距つてゐない頃の出来事である。勿論、仏教美術に関してギリシア彫刻の影響の顕著なガンダラ彫刻が問題とされ始めたのは、前世紀からのことである。日本でも高山樗牛は、死ぬ前に「日本美術史稿」のなかで、グリュンヱーデルなどを引用して、奈良の仏像とガンダラ美術との関聯を説いてゐる。それは樗牛全集の第一巻に収録されて、明治三十七年(一九〇四)にすでに刊行されてゐる。しかしわたくしたちが奈良の彫刻に注意を向けるやうになつたのも、またその彫刻の印象に関聯してあゝいふ空想を刺戟されるやうになつたのも、樗牛の「日本美術史」とは全然関係がな…