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私の信条
わたしのしんじょう
作品ID55786
著者小倉 金之助
文字遣い新字新仮名
底本 「現代日本記録全集 9 科学と技術」 筑摩書房
1970(昭和45)年2月28日
入力者sogo
校正者持田和踏
公開 / 更新2023-10-21 / 2023-10-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ご自分の仕事と世の中との繋りについて、どうお考えになっておられるか?
 この問につきましては、私の仕事と世の中との関連について、ただ現在の感想を述べますよりも、自分の成長過程において、その関連状態がどう発展してきたかを語った方が、当を得ているように考えられるのです。そしてもし私に一貫した信条といったものがあるとすれば、かような成長過程を通じて、その裡から見出されることでしょう。
 私が二十二歳のころ、自分の仕事として数学を選ぶようになりましたのは、全くその当時の境遇と科学研究の興味からきた結果で、何も数学の研究によって世の中のためになろうと、とくに意識したわけではありません。それよりも、むしろ数学を職業として、生活の道が立てられるものならという希望の方が、強かったのです。その当時は郷里にあって、いくぶん家業を手伝っていたときなので、はやく家業を止めてしまいたいという気分からも、反抗的に、純粋な学問の世界に入りたい、と念願していたわけです。
 数年の後には幸にして、ほぼ希望に近い生活に入ることが出来ました。そして「数学のための数学」という心境にあこがれながら進んだのですが、そこまで達することが出来ないでしまったようです。それといいますのも、私は二十一歳から四年の間、学生生活の代りに、ごく現実的な商人生活の一端に触れていましたので、学究としての生活に入った後も、ドイツ観念論のようなものを、現実の地盤の上に立たない、何か空な論理のように考えて、心から受入れることが出来なかったのです。その上に、私は早くから数学の上で、思想的にフェリックス・クライン(一八四九―一九二五)の影響を受けていました。クラインはドイツの学者としては、珍らしいほど理論と応用、直観と論理の統一を心掛けた人で、「純粋数学と応用数学との間にできた溝に橋を架けた人」、また「形式主義の世界的流行に抗して、直観の正当性のために永く戦った人」といわれ、大体において唯物論者に近い自由主義者といえましょう。(現にクラインを自然発生的唯物論者と規定する学者もいるのです。)こういう傾向のクラインの思想は、私を観念論風の著作から遠ざけてくれたのでした。
 しかしそのころは幸徳秋水らのいわゆる「大逆事件」の直後で、「社会」という名のついた出版物は、すべて禁止された時期なので、私は社会上の問題について、殆ど考えたこともなかったくらいでした。その中に、象牙の塔に立てこもっている自分の仕事が、社会のために何の役に立つのか、といった疑問が、ぼんやりと浮びはじめるようになったのは、第一次大戦中の一九一六年ごろからです。それは多分、そのころから始まった、デモクラシー運動からの刺戟による、と思います。
 それ以来、社会ということが私の意識の中に、だんだん明確になってきた過程を示しますため、私の書き残したものの中から、なんらかの意味…

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