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![]() うたせてやらぬかたきうち |
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作品ID | 55793 |
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著者 | 長谷川 伸 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「仇討騒動異聞 時代小説の楽しみ⑩」 新潮社 1991(平成3)年2月5日 |
初出 | 「歌舞伎 秋季臨時増刊」歌舞伎出版部、1925(大正14)年9月 |
入力者 | sogo |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-10-14 / 2015-09-01 |
長さの目安 | 約 22 ページ(500字/頁で計算) |
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◇
寛永十六年四月十六日の早朝。陸奥国会津四十万石加藤式部少輔明成の家士、弓削田宮内は若松城の南の方で、突然起った轟音にすわと、押っ取り刀で小屋の外へ飛び出した。この日宮内は頭痛がひどいので、小屋に引き籠って養生していたのである。
宮内は骨細い生れつきで、襟首のあたりは女かと思うばかり、和かい線をしていた。見るからに弱々しいのは姿ばかりではなく、実際に非力であった。島原の切支丹退治があって、血腥い噂が伝わったのは昨年のことである。大坂落城以来二十年余の今日では、天下泰平を誰しも望んではいたが、油断の出来る時節にはなっていなかった、それだけに一朝事ある場合に、優しい姿の宮内では、とても役にたつまいと軽しめられていた、宮内はそうした批評が、自分に下されていることを、勿論覚っていた。しかし、武芸に長所を持たぬ上に、非力である自分の体を、どうすることも出来なかった。
押っ取り刀を宮内は、腰にさしながら小屋の外で、天地に轟いた、今の音が、起ったらしく思われる南山の空を仰いだ、と直ぐ眼についたのは、脅かされて群れ乱れた夥しい禽であった、緑につつまれた山も野もすてて、怖れ怯えて青空に彼等は狂っていた。宮内は南の空から東へ、それから北へ西へと眼を配った、脅かされて立った禽は、若松城の外曲輪十六門のうち南町口から南の方だけであった。その南の今の若松市外門田村の一部、その頃はひと口に中野といった。その見当らしく思われた。
「いよいよ遣ったのう」
胸を躍らした宮内は、眼を閉じてほっと息をついた。宮内には今の音が、何であるかの推測がついていたのである。
「母者、事が起った。恐らくは直ちに討手が差し向けられるに違いない。それに遅れてはうしろ指の種じゃ。宮内は一駈け仕る」
門口でこういい棄てて、城内めがけて驀地に走り出した頃に、諸所の小屋から、同じような身分の士や、その妻子が外へ出て、くるくると空を仰いで騒ぎ出していた。
加藤式部少輔明成は、父嘉明が卒し家督をついでから九年目になる、評判のよろしくないこの人は、四十万石の家中で河村権七か堀主水かといわれたほどの名臣、主水を憎んでいた。河村権七は先代が伊予の松山にいるとき死去し、今は加藤家自慢の家臣は、堀主水が唯一であった。その主水を明成は甚だしく嫌っているのだった。
君臣の間の離反は、事ごとに溝を深くし、とうていまどかな結果はあるまいと、誰しも予想したとおり、主水は家老の職を剥がれ、先代が依託した采配まで召しあげられたのを機会に、この日一門残らず三百余人、隊列を整えて馬橋から南へ路をとり、中野で銃口を城に向け、三十梃一時に放発して、君臣手ぎれの狼火に代えた。宮内が押っ取り刀で飛び出したのは、その銃声のためであった。
主水の率いる三百余人は、倉兼川を越えると直ぐ、橋を焼き落して日光街道を、蘆野原の関所を押…