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測量船
そくりょうせん |
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作品ID | 55797 |
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著者 | 三好 達治 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「測量船」 講談社文芸文庫、講談社 1996(平成8)年9月10日 |
入力者 | kompass |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2015-01-01 / 2015-08-20 |
長さの目安 | 約 38 ページ(500字/頁で計算) |
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春の岬
春の岬旅のをはりの鴎どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
[#改ページ]
乳母車
母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
[#挿絵]々と私の乳母車を押せ
赤い総ある天鵞絨の帽子を
つめたき額にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり
淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道
[#改ページ]
雪
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。
[#改ページ]
甃のうへ
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々に
風鐸のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
[#改ページ]
少年
夕ぐれ
とある精舎の門から
美しい少年が帰つてくる
暮れやすい一日に
てまりをなげ
空高くてまりをなげ
なほも遊びながら帰つてくる
閑静な街の
人も樹も色をしづめて
空は夢のやうに流れてゐる
[#改ページ]
谺
夕暮が四方に罩め、青い世界地図のやうな雲が地平に垂れてゐた。草の葉ばかりに風の吹いてゐる平野の中で、彼は高い声で母を呼んでゐた。
街ではよく彼の顔が母に肖てゐるといつて人々がわらつた。釣針のやうに脊なかをまげて、母はどちらの方角へ、点々と、その足跡をつづけていつたのか。夕暮に浮ぶ白い道のうへを、その遠くへ彼は高い声で母を呼んでゐた。
しづかに彼の耳に聞えてきたのは、それは谺になつた彼の叫声であつたのか、または遠くで、母がその母を呼んでゐる叫声であつたのか。
夕暮が四方に罩め、青い雲が地平に垂れてゐた。
[#改ページ]
湖水
この湖水で人が死んだのだ
それであんなにたくさん舟が出てゐるのだ
葦と藻草の どこに死骸はかくれてしまつたのか
それを見出した合図の笛はまだ鳴らない
風が吹いて 水を切る艪の音櫂の音
風が吹いて 草の根や蟹の匂ひがする
ああ誰かがそれを知つてゐるのか
この湖水で夜明けに人が死んだのだと
誰かがほんとに知つてゐるのか
もうこんなに夜が来てしまつたのに
[#改ページ]
村
鹿は角に麻縄をしばられて、暗い物置小屋にいれられてゐた。何も見えないところで、その青い眼はすみ、きちんと風雅に坐つてゐた。芋が一つころがつてゐた。
そとでは桜の花が散り、山の方から、ひとすぢそれを自転車がしいていつた。
脊中を見せて、少女は藪を眺めてゐた。羽織の肩に、黒いリボンをとめて。
[#改…