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閣下
かっか
作品ID55808
著者佐々木 邦
文字遣い新字新仮名
底本 「佐々木邦全集 補巻5 王将連盟 短篇」 講談社
1975(昭和50)年12月20日
初出「面白倶楽部」1925(大正14)年8月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者POKEPEEK2011
公開 / 更新2015-09-05 / 2020-05-10
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の家は両隣りとも陸軍大佐である。予備か後備か知らないが、盆栽を弄ったり謡曲を唸ったりして、先ず悠々自適というところだ。目黒もこの界隈は筍と共に軍人の古手が多い。丘麓の片側町三十何戸は半数まで陸軍将校の侘住いである。そうしてそれが大抵中佐か大佐の恩給取りだ。
 東京市外の地価が未だ斯うほど騰貴しなかった頃、この辺一帯の持主が畑と孟宗藪を百坪乃至二百坪に区切って貸地にした。これは昨今市内の華族さまがやっている社会奉仕土地開放である。目黒駅へ十分と称しても、実は十五六分かゝるので、坪四銭という安い地代だった。坪四銭は会社の中どころを勤めていた私に持って来いだったと同時に陸海軍を中どころで引いた人達にも持って来いだったと見える。お互の生活程度では兎に角自分のと呼べる家が欲しいので、地面は来世のことゝ諦め切っている。私は或冬の朝この借地を検分中今の南隣りの主人公と知合になった。先方も坪四銭が気に入って検分に来たのである。名刺を交換して、陸軍歩兵大佐と承知した。
 大佐と私は殆んど同時に工を起した。私は会社の方が忙しいから日曜毎に普請場を見廻ったが、大佐は毎日ついていた。予備になったばかりで閑だったのだろう。その為めか、隣りはズン/\進行するのに、私の方は腹の立つほど捗らない。或日普請場で棟梁に小言をいっていると、北隣りを借りて工事を始める人が挨拶に寄った。これが矢張り軍人で、砲兵大佐とあった。妙に国家の干城に縁があると思った。近所合壁としては性の知れない人間は好ましくない。然るに軍人ぐらい性の知れたものはないし、軍人なら強かろうという子供のような考えも手伝った。私はその日家へ帰って、
「両隣りを歩兵と砲兵が守っていてくれゝば泥棒丈けは大丈夫だ」
 と冗談を言った。
 その後間もなく方々へ家が建ち始まった。私の家がその夏漸く出来上った頃には、貸地は悉皆契約済みになっていた。そうしてその年の暮には似たり寄ったりの小ぢんまりとした家がギッシリと丘の麓を取り巻いてしまった。僅か十数年前のことだけれど、昨今の文化家屋の如きものは一軒も見えなかった。短日月の中に人心が軽佻に流れ浮薄に赴くこと驚くべきである。
 両隣りの外に近所との交際は全くなかった。毎日のように行き合って見知り越しになった盤台面も何処の主人公か分らなかった。先方も然うだったに相違ない。忙しい世の中だ。無用なお天気の挨拶をする世話もなくて、結局この方が楽で宜しい。五年の契約期間が終りに近づいた時、地主は地代を坪十銭に上げると言い出した。華族さまと違って社会奉仕ということを知らない。それにしても倍以上の値上げは横暴だとあって、借地人は有志の家で寄合いを催した。しかしこれは界隈の懇親会として効果を奏した丈けで、地代は矢張り十銭になってしまった。私はその席上で日頃見知り越しの面々に紹介されて、軍人は両隣りばかりでない…

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