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髪の毛
かみのけ
作品ID55809
著者佐々木 邦
文字遣い新字新仮名
底本 「佐々木邦全集 補巻5 王将連盟 短篇」 講談社
1975(昭和50)年12月20日
初出「面白倶楽部」大日本雄辯會講談社、1926(大正15)年9月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者芝裕久
公開 / 更新2021-01-26 / 2020-12-27
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 或朝、井口君は出勤の支度にかゝった時、ズボンが見当らなかったので、白シャツのまゝ、
「おい/\」
 と細君を呼んだ。
「はあ」
「ズボン/\」
「あら、私、忘れていました」
 と細君の文子さんは次の間からズボンを提げて来て、
「ポケットに穴が明いていましたから、繕って置きましたの」
 と弁解しながら差出した。
「然う/\。右の方だったね」
 と井口君は、こんなことに一々お礼を言う時期はもう過ぎていた。寧ろ有るべきところになかったのが不足で、叱言が口元まで出ていたが、相当の理由があったから思い止まったのだった。しかし同時に少し考えさせられた。
「何をそんなに考えていなさるの?」
「何うしてお前がズボンの穴を発見したのかと思ってさ」
「オホヽヽヽ」
 と細君は勝ち誇った。
「何が可笑しい?」
「でも今頃漸くお気づきになるんですもの」
「それじゃチョク/\やっていたのかい? 道理で時々勘定が合わないと思ったよ」
 と井口君は態と誤解して、冗談にしようと努めた。
「あら、私、何ぼ何でも取りはしませんわ。唯中身を検査して見る丈けよ」
「驚いたね。いつからだい?」
「それ御覧なさい。お顔色が変ったじゃありませんか?」
「そんなことがあるものか」
「あなたは初めの三月は些っとも嘘を仰有らなかったわ。けれども四月目からチョク/\私をお瞞しになりましたよ。お友達の家へ寄ったと仰有る時、蟇口や紙入を検めて見ますと、屹度五六円から十円ぐらい耗っていますわ。お附き合いでお酒を飲みにいらっしゃるなら仕方ありませんが、嘘を仰有らなくても宜いでしょう? 私、あなたからそんなに匿し立てをされますと、何ともいえない悲しい心持になりますよ」
 と細君も最早いつまでも黙っていない時期に達していたのである。
「しかし昨夜は真実だったろう?」
「えゝ。蟇口の方は一円二十銭耗っていましたが、紙入の方はこの二三日手つかずですわね?」
「随分精確に調べているんだね? 恐れ入ったよ」
「ホヽヽ。これが一番正確なメートルでございますって」
「誰がそんなことを言うんだい?」
「中川さんの奥さんよ」
「ふうむ。それじゃ仕方がない」
 と井口君は苦情も言えなかった。中川というのはこの夫婦の間に媒妁の労を執った同僚である。井口君は尻尾を巻いて出勤した。
 中川君の細君は井口君の細君の姉さんとは女学校で同級だったから極く親しい。仲人もその関係から殆んど自分一人でやって退けたのだが、単にそれ丈けで満足するような女性でない。近所に住んでいるのを幸い、時々御無沙汰伺いに出頭して、種々と善意の入れ智恵をする。合せものゝ離れものと信じているような通り一片の月下氷人でない。
「文子さん、具合の悪いところがあったら、いつでも仰有って頂戴よ。御一報次第上りますわ。オホヽヽヽ」
 と仰有る。文子さんはついこの間シンガーミシンを一台月賦…

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