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奇術考案業
きじゅつこうあんぎょう
作品ID55835
著者長谷川 伸
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻7 奇術」 作品社
1991(平成3)年9月25日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2014-07-18 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 世間には思いもよらない変った渡世をするものがある。たとえば幽霊が憑いているのを、その日その日のくらしの種にして、日本中を廻り歩くとか、親不孝の罰はこれこのとおりだと、蛇を首に巻いて日本中どころか、海を渡って儲けて帰ったとか、因果物師の手にかかっている角男、章魚小僧、小あたま、鶏娘、桃太郎、猩々太郎、さては生きている夷三郎――人力車に乗って絵端書を売って歩く――の類とは違って、香具師の所謂五りん五たい満足な体で、類のない渡世を編み出し、旅から旅をめぐり歩いている者とは違って、一つ処にじっとしていながら、恐らく日本全国にまたと二人いまいという渡世の道をひらいている男がある。しかもこの渡世、買い手に廻るのは狭いようでも広い世間にたった一人か二人、その外の連中は欲しいには欲しいが、値が高いので指を啣えている外はないという。誠に不思議な――というほどのこともない、打明けていえば、なあに格別のこともない稼業である。
 その稼業は「ずまのネタ」である。その道の人にいわせれば魔術と奇術に相違はある、だが大ざっぱに一つ括げにいえば、手品をつづめた「ずま」である。恰もそれは浪花節が「ぶし」であり常磐津の邦楽家が「ずわ屋」であるが如きもので、侮辱ではなくて実用語なのである。一がピンでもありホンでもある、三がげためでもありうろこでもあるのと同じことである。
 その「ずまのネタ」屋を、はじめから志した、そんな人ではなかった彼であった。
 元は一かい二やり、頭も大切だが指もはたらく投機師で小蟹弥兵衛といっては、その土地で一時はひどく当りつづけ、花の裾を青畳に引きずる女たちの相場を狂わした男である。何でもそうだが当りに浮かれて拡げたまま、いざとなって緊縮するその手際のよさ悪さ、それが人間一代の運命をぴったりきめる関所である筈。弥兵衛はその関所で落第し、大きな地所つき建物を銀行に引渡し、次第下りに落目となり、手狭な借家でありしその日の栄華をしのぶ、所謂ご沈落の態となったとき、ふと考えたのがよくないことだった。
 俺に限らず、浮き沈みは男一代に、ついて廻ることなんだ、そこで沈むときは一と溜りもなくぶくぶくと、金槌流に音も立てずに沈んでしまうから、今の俺のように手も足も出なくなる。これでも多少の資金があれば、もう一度小蟹弥兵衛の天下にしてみせるのだが、何をいうにもレコがない。さあ、そこでだ。と弥兵衛が考えたのは、早くいえば詐欺の方法であった。まず債権者が先手を打って差押えとやってくる。よろしいさあ封印をなさるがいいと、気の悪い執達吏に快く封印をさせる。無論、先方は金庫にもべたりと糊づけの封印をする、されてもこっちはケロリとしている。さすがあの人は度胸がいいと後で噂に出るだろうが、そんな外聞見栄を望んでいるのは、種と仕掛けがあったなら、びくともせずにいられるのが不思議ではない。
 弥兵衛の考案…

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