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苦心の学友
くしんのがくゆう |
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作品ID | 55858 |
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著者 | 佐々木 邦 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「苦心の学友」 少年倶楽部文庫、講談社 1975(昭和50)年10月16日 |
初出 | 「少年倶楽部」1927(昭和2)年10月号~1929(昭和4)年12月号 |
入力者 | 橋本泰平 |
校正者 | POKEPEEK2011 |
公開 / 更新 | 2015-01-01 / 2015-01-01 |
長さの目安 | 約 341 ページ(500字/頁で計算) |
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おやしきからのお召し
夕刻のことだった。
「内藤さん、速達!」
と呼ぶ声が玄関からきこえた。郵便物と新聞は正三君がとりつぐ役だ。
「お父さん、速達ですよ」
「ふうむ。何ご用だろう?」
とお父さんはいずまいを直して、大きな状袋の封をていねいに鋏で切った。伯爵家からきたのである。
正三君のところはおじいさんの代まで花岡伯爵の家来だった。もっともそのころは伯爵でない。お大名だから、お殿様だった。いまでは伯爵のことをお殿様とよんでいる。正三君のおじいさんは大殿様から三百石いただいていた。いまなら年俸である。お金のかわりにお米を三百石もらう。一石三十円として九千円。いまの大臣以上の俸給だった。
「三百石といえば大したものだよ。陸軍大将になった本間さんなんか三人扶持の足軽だった。実業界ではばをきかしている綾部さんがせいぜい五十石さ。溝口の叔母さんのところが七十石。おまえのお母さんの里が百石」
と正三君は三百石のえらいことをお父さんからたびたびきかされていた。
「これ、お貞、お貞、お貞、お貞」
とお父さんはへんじのあるまでよびつづけるのが癖だ。
「はいはい、はいはい、はい」
とお母さんも返辞だけして、ナカナカ仕事の手をはなさない癖がある。
「お貞や、おやしきからのお手紙だ」
「まあ」
「お殿様がわしに相談があるそうだ」
「ご冗談でございましょう」
「いや、ほんとうだよ、ごらん」
とお父さんは得意だった。
粛啓
時下残暑凌ぎがたく候処益[#挿絵]御清穆の御事と存上候 却説 伯爵様折入って直々貴殿に御意得度思召に被在候間明朝九時御本邸へ御出仕可然此段申進候 早々頓首
花岡伯爵家
八月十五日
富田弥兵衛
内藤常太郎殿
富田さんは家令だ。もう年よりで目がわるいから一寸角ぐらいの字で書いてある。
「まあ、なんでございましょうね?」
とお母さんは合点がいかなかった。大将や重役になっている家来たちのところへは時おり特別にありがたいお沙汰があるそうだが、三百石の内藤常太郎さんはそれほどまで出世していない。正月の二日にごきげんをうかがって四月の観桜会へまねかれるだけだった。
「なんだろうなあ」
「ああ、わかりましたよ」
「なんだ?」
「あなたがあんまりご無沙汰をしていらっしゃるから、呼び出して切腹仰せつけるのかもしれませんよ」
「ばかをいうな。これはけっして悪いことじゃない」
「そうだとよろしゅうございますがね」
「そうでなくてどうする? お殿様じきじき折り入ってお願いがあるというんだもの。おまえはわしにもっと敬意を表さなければいけないよ」
とお父さんはいばってみせた。
晩ごはんのときも伯爵家の話が出た。なんだかわからないが、番町のおやしきからのおさたはみんなの心持ちを陽気にした。
「お父さん、とにかくおでんと蜜豆がいただけますね」
と正三君がいった。…