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艸千里
くさせんり
作品ID55865
著者三好 達治 Ⓦ
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三好達治全集第一卷」 筑摩書房
1964(昭和39)年10月15日
初出南の海「新潮 三三卷一號」1937(昭和12)年1月、<br>涙「中央公論」1937(昭和12)年9月、<br>艸千里濱「むらさき 三卷九號」1936(昭和11)年9月、<br>新雪「文藝懇話會 一卷九號」1936(昭和11)年9月、<br>廢園「四季」1937(昭和12)年10月、<br>あられふりける 一「文體 二號」1938(昭和13)年12月、<br>あられふりける 二「文體 二號」1938(昭和13)年12月、<br>とほきことのは「文學界 六卷一號」1939(昭和14)年1月、<br>鴎どり「文藝」1938(昭和13)年8月、<br>桐の花「文藝」1938(昭和13)年8月、<br>汝の薪をはこべ「知性 創刊號」1938(昭和13)年5月、<br>花間口占「文體 六號」1939(昭和14)年4月、<br>又「文體 六號」1939(昭和14)年4月、<br>おんたまを故山に迎ふ「文學界 五卷一〇號」1938(昭和13)年10月
入力者kompass
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2019-08-23 / 2019-07-30
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

枕上口占


もとおのれがさえのつたなければぞ、集ならんとする夜半……


私の詩は
一つの着手であればいい

私の家は
毀れやすい家でいい

ひと日ひと日に失はれる
ああこの旅の つれづれの

私の詩は
三日の間もてばいい

昨日と今日と明日と
ただその片見であればいい


又


私の詩は 明け方西の空にある
昨日の月

やがて地平の向ふに沈む 昨日の月への
餞けだ

既に私はそこにない
それは私の住處でない

讀む人よ 憐れと思へ
私の詩が私を驅る

私を驅る
涯しない流沙のうち


蝉


 セミといふ滑車がある。井戸の樞の小さなやうなものである。[#挿絵]船の帆柱のてつぺんに、たとへばそれをとりつけて、それによつてするすると帆を捲き上げる時、きりきりと帆綱の軋るその軋音を、海上で船人たちは蝉の鳴聲と聞くのである。セミ、何といふ可憐な物名であらう。
 今年五月十日、私は初めて、私の住む草舍の前の松林に、ひと聲蝉の鳴き出る聲を聞いた。折から空いちめんの薄雲が破れて、初夏といふにはまだ早い暮春の陽ざしが、こぼれるやうに斜めに林に落ちてきた、私はそれに氣をとられて讀んでゐた本を机の上に置かうとしてうなじを上げた、その時であつた、天上の重い扉が軋るやうに、ぎいいとひと聲、參差として松の梢の入組んだとある方に、珍らしや、ただひと聲あの懷かしい聲を風の間に放つものがあつた。
 蝉! 新らしい季節の扉を押し開く者!
 私がさうひそかに彼に呼びかけた時、空は再び灰色雲に閉ざされた。さうして蝉はその日はそのまま鳴かなかつた。三日ばかりうすら寒い日がつづいた。蝉はまた四日目の朝、同じやうに雲の斷れ目をちらりと零れ落ちる陽ざしに、いそいで應へかへすやうに、あのおしやべりの彼がしかし控へ目に、おづおづと、短い聲でぎいと鳴いた。さうしてひと息ついてもう一度念を押すやうにぎいいと鳴いた。それは何か重たいものを強い槓杆で動かす時のやうな聲であつた。私は鳴きましたよ、私は鳴いてゐますよ、蝉は恐らくさういふつもりで鳴いてゐるのであらう、ほんのそのしるしだけ。陽ざしが翳れば、その聲はすぐにやんだ。さうしてそれはもう一度陽ざしが新らしくこぼれ落ちるまで、いつまでも辛抱強く沈默を守つてゐた。だからその聲は、そんな風に蝉が鳴いてゐるといふよりも、寧ろ松の間で初夏の陽ざし自らが聲をたててゐるやうな風にも聞えるのであつた。
 私の祖母は蝉のことをセビセビと云つた。
 ――ああ、セビセビが喧ましくつてねられやしない……
 晝寐の夢をこの騷々しい連中に妨げられて、そんな不平をこぼしてゐたのもまだつい昨日のやうである。私は丁度今時分の頃になつて、毎年蝉の聲を聞きとめた最初の日に、きまつて祖母のことを思ひ出す、それからあのセビセビといふ妙な言葉を。
 蝉が鳴いてゐる。蝉はその後ひきつづいて毎日鳴いてゐる…

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