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京に着ける夕
きょうにつけるゆうべ
作品ID55936
著者夏目 漱石
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代紀行文學全集 第四卷 西日本篇」 修道社
1958(昭和33)年4月15日
初出「大阪朝日新聞」1907(明治40)年4月9日~11日
入力者岡村和彦
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-02-09 / 2019-01-29
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 汽車は流星の疾きに、二百里の春を貫いて、行くわれを七條のプラツトフオームの上に振り落す。余が踵の堅き叩きに薄寒く響いたとき、黒きものは、黒き咽喉から火の粉をぱつと吐いて、暗い國へ轟と去つた。
 唯さへ京は淋しい所である。原に眞葛、川に加茂、山に比叡と愛宕と鞍馬、ことごとく昔の儘の原と川と山である。昔の儘の原と川と山の間にある、一條、二條、三條をつくして、九條に至つても十條に至つても、皆昔の儘である。數へて百條に至り、生きて千年に至るとも京は依然として淋しからう。此の淋しい京を、春寒の宵に、疾く走る汽車から會釋なく振り落された余は、淋しいながら、寒いながら通らねばならぬ。南から北へ――町が盡きて、家が盡きて、燈が盡きる北の果迄通らねばならぬ。
「遠いよ」と主人が後から云ふ。「遠いぜ」と居士が前から云ふ。余は中の車に乘つて顫へてゐる。東京を立つ時は日本にこんな寒い所があるとは思はなかつた。昨日迄は擦れ合ふ身體から火花が出て、むく/\と血管を無理に越す熱き血が、汗を吹いて總身に[#挿絵]浸み出はせぬかと感じた。東京は左程に烈しい所である。此の刺激の強い都を去つて、突然と太古の京へ飛び下りた余は、恰も三伏の日に照り附けられた燒石が、緑の底に空を映さぬ暗い池へ、落ち込んだ樣なものだ。余はしゆつと云ふ音と共に、倏忽とわれを去る熱氣が、靜なる[#「靜なる」は底本では「静なる」]京の夜に震動を起しはせぬかと心配した。
「遠いよ」と云つた人の車と、「遠いぜ」と云つた人の車と、顫へて居る余の車は長き轅を長く連ねて、狹く細い路を北へ北へと行く。靜かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狹き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんからゝん、かんからゝん、と云ふ。石に逢へばかゝん、かゝらんと云ふ。陰氣な音ではない。然し寒い響である。風は北から吹く。
 細い路を窮屈に兩側から仕切る家は悉く黒い。戸は殘りなく鎖されてゐる。所々の軒下に大きな小田原提燈が見える。赤くぜんざいとかいてある。人氣のない軒下にぜんざいは抑も何を待ちつゝ赤く染まつて居るのかしらん。春寒の夜を深み、加茂川の水さへ死ぬ頃を見計らつて桓武天皇の亡魂でも食ひに來る氣かも知れぬ。
 桓武天皇の御宇に、ぜんざいが軒下に赤く染め拔かれてゐたかは、わかり易からぬ歴史上の疑問である。然し赤いぜんざいと京都とは到底離されない。離されない以上は千年の歴史を有する京都に千年の歴史を有するぜんざいが無くてはならぬ。ぜんざいを召し給へる桓武天皇の昔はしらず、余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁で互に結びつけられて居る。始めて京都に來たのは十五六年の昔である。その時は正岡子規と一所であつた。麩屋町の柊屋とか云ふ家へ着いて、子規と共に京都の夜を見物に出たとき、始めて余の目に映つたのは、此の赤いぜんざいの大提燈である。此の大提燈を見て…

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