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作品ID | 55947 |
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著者 | 高浜 虚子 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「現代紀行文學全集 第四卷 西日本篇」 修道社 1958(昭和33)年4月15日 |
初出 | 「ホトトギス」1948(昭和23)年9月号 |
入力者 | 岡村和彦 |
校正者 | 高瀬竜一 |
公開 / 更新 | 2019-02-22 / 2019-01-29 |
長さの目安 | 約 8 ページ(500字/頁で計算) |
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賢島から電車に乘つて、暫く來たと思つたところで降りることになつた。今日は横山といふところに泊るといふ日程であつたので、これからその横山に行くことになるのであらうと思はれた。朝は船越村で海女の作業を見、それから多徳島で御木本翁に會ひ、それから賢島から電車に乘つてここまで來たので、もう大分遲く日は西に傾いてゐた。
これから山に登るらしいのでそろ/\と登ることにした。自動車が來るといふ話であつたやうに思つたが、それらしいものは見かけなかつた。來ぬものを空しく待つてゐるよりも、そろ/\でも登る方がよからうと登ることにした。
道は大變毀れてゐて石がごろ/\してゐた。私は足が少しむくんでゐるので坂を登るのが一番つらかつた。極めて歩調を緩めて登つた。同行の人々も皆私に附合つてそろ/\と登つた。
暫く登つたと思ふ時分に、上の方からリヤカーを曳つぱつてゐる子供の一群が下りて來た。さうして私の前に來るとその梶棒につかまつてゐる子供は急に體を後ろに反らして足を突つぱつてそれを止めた。周りについてゐる子供達も皆一齊にとまつた。そのリヤカーの上には座布團が一枚敷いてあつて、それは私を乘せるためのものであつた。
まだ年もゆかぬ子供達の曳いてをる車に乘るといふことは不本意でもあつたが、勇み立つてゐる子供達の好意を無にする氣にもなれなかつたのでそれに乘つた。一人の子供が梶棒の中に入り他の二人は梶棒を曳き其他の子供はあとから押し、又殘りの子供は道にある石ころを蹶飛ばしたり、又大きな石があるとそれを兩手で運んだりした。
それ迄は人家は無かつたが、漸く一つの茶店の前に出て其處で休むことになつた。果汁のやうなものをコップに注いで出した。子供達には御褒美をやつた。年長の子供は一同を代表して慇懃に謝辭を述べた。他の子供達は皆そのあとについてお辭儀をした。
そこには又屈強な若者が曳いてをる別のリヤカーが待つてゐた。それはゴム輪の稍々大形のもので、乘つて見ると前のよりは樂であつた。やがてかなり大きな建物に著いた。それは半ば未完成のもので、屋根は葺いてあるがまだ壁などはついてゐなかつた。其裏の方にある家屋に私等は導かれた。其家屋は二階建てのもので、二三十人は集會が出來るやうな處であつた。そこで夕飯の御馳走になつた。
其家を守つてゐるのは前田敬氏であつて、もう五十を過ぎてをる年配であらうと思はれた。夕飯の料理を拵へた人は前田氏の弟で甘雨といふ、之も五十近い俳句を作る人であつた。其二人と小出幸十郎といふ一番年長らしい人が主人役らしく、率先して私等に酒を勸めたりした。酒は葡萄酒で拵へた酸味の強い酒であつた。
志摩が國立公園と極まり、この横山が其樞要な場所になるものとして、此等の人々は其日を待つてゐる事が話の模樣から分つた。私等が割當てられた日程の一つにこの横山があつたといふことも漸く合點が行つた…