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十年振
じゅうねんぶり
副題一名京都紀行
いちめいきょうときこう
著者永井 荷風
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代紀行文學全集 第四卷 西日本篇」 修道社
1958(昭和33)年4月15日
初出「中央公論 第三十七年 第十三號 第四百十六號」中央公論社、1922(大正11)年12月1日
入力者岡村和彦
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-04-30 / 2019-04-01
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 病來十年わたしは一歩も東京から外へ出たことがなかつた。
 大正二年の夏慶應義塾講演會の大阪に開催せられた時わたしも厚かましく講演に出掛けたのが旅行の最終であつた。
 今年大正十一年十月の朔日、わが市川松莚子、一座の俳優を統率して京都に赴き、智恩院の樓門を其のまゝの舞臺となし野外の演藝を試るといふ。蓋しわが劇界未聞の壯擧である。この壯擧を聲援せんが爲日頃松莚子と深交ある文人作家は相携へて共に西行せん事を約した。こゝに於てわたしも十年振りで東京の家を出る事となつた。
 十年前大阪へ行く時、丸の内の東京驛停車場はまだ工事の半であつた。たしか大正四年の春松本泰君が再度英國に遊ばうとした折、又その翌年故上田博士が京都に歸らるゝ時、また大正八年松居松葉子が重て歐米漫遊の途に上らんとする際、わたしは丸の内停車場のプラツトフオームまで見送りに來た事はあつたが、然し一度もこゝから汽車に乘つた事はなかつた。
 わたしの旅行は今日全く人から忘れられたかの汐留の古いステーシヨン――明治五年に建てられたとかいふ石造りの新橋ステーシヨンからのみ爲されてゐた譯である。さう思ふとわれながら微笑を禁じ得ない。同時に、今更の如くわたしの身も正に彼の古いステーシヨンと同じやうに今は全く過去のものとなつた――わが時代は既に業に遠く過ぎ去つたといふ事を意識しないわけには行かない。



 京都に遊ぶのはこの度が四囘目である。明治三十年の頃父母に從つて遠く南清に遊ぶ途すがら初めてこの都を見物した。次は明治四十二年清秋の幾日かをこゝに送つた事があつた。三度目は慶應義塾大阪講演會の歸途であつた。偶然祇園の祭禮に出會つて其の盛觀を目撃する事を得た。人家の欄干に敷き連ねた緋毛氈の古びた色と山鉾の柄に懸けたゴブラン織の模樣とは今も猶目に殘つてゐる。幽暗なる蝋燭の火影に窺ひ見た島原の遊女の姿と、角屋の座敷の繪襖とは、二十世紀の世界にはあらうとも思はれぬ神祕の極みであつた。わたしは東京の友人に送つた繪葉書に、吾等は其の郷土の美と傳來の藝術の何たるかを討ね究めやうとすれば是非とも京都の風景と生活とに接觸して見なければならないと云ふやうな事を書きしるした。
 それから十年を過ぎた。十年ぶりに來て見た京都の市街は道幅の取廣げられた事、橋梁河岸の改築せられた事、洋風商店の増加した事、人家の屋根の高くなつた事なぞ十年前の光景に比較すれば京都らしい閑雅の趣を失つた處も少くはない。嘗て一度眺め賞してより終生忘れることの出來ないやうに思つた彼の出町橋のあたりの寂しい町端の光景の如きは、今日再び尋ねやうとしても尋ねる事の出來ぬものとなつてゐる。
 然し京都には幸にして近世文明の容易に侵略する事を許さぬ東山の翠巒がある。西山北山を顧望するも亦さほどに都市發展の侵害を被つてゐないやうに見えた。鴨河にはまだ幾條も日本風の橋が殘つ…

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