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ルイスヒェン
ルイスヒェン
作品ID55978
原題LUISCHEN
著者マン パウル・トーマス
翻訳者実吉 捷郎
文字遣い新字新仮名
底本 「トオマス・マン短篇集」 岩波文庫、岩波書店
1979(昭和54)年3月16日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2015-05-21 / 2015-03-08
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 世の中には、いかに文学的修練を経た空想といえども、その成立に想到し得ぬような夫婦関係が、ずいぶんあるものである。そういう関係は、ちょうどわれわれが芝居で、老いて愚純なものに対する、美しくて活溌なもの、というような対照の、架空的な結合――仮定として与えられて、ある笑劇の数学的構成の根底になっている結合を受け容れるごとくに、そのまま受け容れられねばならない。
 ヤコビイ弁護士の細君についていえば、彼女は若くて美しくて、並々ならぬ魅力を持った女である。今から――まあざっと――三十年も前に彼女はアンナ・マルガレエテ・ロオザ・アマアリエと名づけられた。ところが、みんなはこれらの名前の頭字だけを組み合わせて、昔から彼女をアムラとばかり呼んでいた。外国めいたひびきがあるので、この名ほど彼女の人柄にあてはまった名はなかった。なぜなら、横のほうでわけて、狭い額から両側へ斜めになでつけた、ゆたかな柔かな髪の濃さこそ、やっと栗の実ほどの褐色ではあるけれど、それでも、肌は全く南国風の薄黒い黄色で、しかもその肌が、やはり南国の太陽の下に成熟したらしい、またその植物的なものうげな豊満さで、トルコの女皇のそれを思わせる姿態を、ぴっちりと包んでいるからである。彼女のそそるように自堕落な身ぶりの、一つ一つが呼び起すこの印象は、彼女の理智がきっと心臓に隷属しているだろうという推察と、どこまでも一致するのだった。そのことは、ただの一度でも、彼女がそのきれいな眉を真平にして、いじらしいほど狭い額へ、妙な風にあげながら、無智な鳶色の眼の奥から、ある人を見つめたことがありさえすれば、その人にはわかってしまうのである。しかし彼女自身もまた、それを心得ぬほど単純ではなかった。彼女はほんの時々、言葉少なに口を利くことによって、馬脚を現わすのを避けていた。そこで美しいうえに黙った女なら、ちっとも申し分はないのである。そうだ。「単純」という言葉は、そもそも彼女には一番ふさわしくないのかもしれない。彼女の眼付はただ愚かしいだけでなく、一種好色的なずるさをも持っている。だから、この女が禍をかもすのを好まぬほど因循でないということは、すぐわかるのである。――なお彼女の鼻は、横から見ると少しいかめしすぎるし、肉がつきすぎているかと思われる。しかしゆたかな大きな口は、完全に美しい。もっともそこには、肉感的という以外にはなんの表情もないのだが。
 この気がかりな女が、つまり、四十ばかりになるヤコビイ弁護士の細君なのであるが――さて、この男を見た者はだれでもあきれる。弁護士はふとっている。ふとっているでは足りない。ほんとうに巨人のような男である。いつも鼠色のズボンをはいている脚は、柱のような不恰好さで、象のそれを思い出させるし、脂肪のかたまりで丸くなっている背中は、熊のそれに異らぬ。そして厖大な太鼓腹は、彼がよく着る、奇妙…

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