えあ草紙・青空図書館 - 作品カード
楽天Kobo表紙検索
忠僕
ちゅうぼく |
|
作品ID | 55988 |
---|---|
著者 | 池谷 信三郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本掌編小説秀作選 下 花・暦篇」 光文社文庫、光文社 1987(昭和62)年12月20日 |
入力者 | sogo |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-02-05 / 2015-01-30 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
広告
広告
1
嘉吉は山の温泉宿の主人だった。この土地では一番の物持で、山や畑の広い地所を持っていた。山には孟宗の竹林が茂り、きのこ畑にきのこが沢山とれた。季節になると筍や竹材を積んだトラックが、街道に砂埃をあげ乍ら、七里の道を三島の町へ通って行った。
嘉吉はまだ三十をちょっと越したばかりの若い男だった。親父が死んだので、東京の或る私立大学を止めて、この村へ帰って来た。
別段にする事もなく、老人を集めては、一日、碁を打っていた。余っ程閑暇の時は、東京で病みついたトルストイの本を読んでいた。それから時々は、ぶらぶらと、近くにある世古の滝の霊場に浸かり旁々山や畠を見まわった。
嘉吉は人が好くて、大まかで、いつもにこにことしていた。小作人が、時折、畠の山葵をとって、沼津あたりからやって来る行商人に、そっと売ったりしても、めったに怒ったりすることはなかった。だから、しまりやの先代よりはずっと下の気受けがよく、雇人達は皆んなよく働いた。その度に何かと賞めてやるので、皆んなどうかして、この主人に対して忠僕となろうと心掛けていた。
ただ、久助だけは、ちっとばかり、度が過ぎやしめえか、と心配していた。久助はもう五十に手がとどく、先代からの雇人だった。
2
先代の在世中には殆んど縁切り同様だった先代の弟、今の嘉吉には叔父に当る男が、この頃はちょくちょくと、沼津から顔を出した。その度に久助は苦い顔をした。
その男は、来るときまって、嘉吉さんや、と甘ったるい声を出しては、幾ばくの金を借りて行った。今度沼津へ草競馬を始めようかと思ってな、そりゃお前、ど偉い儲けだ。それでその少しばかり、運動の資金が要るんじゃが、どうだろう、え? と云われると、嘉吉はいつものように人の好い顔を崩して、そりゃ良さそうですな。そして三島の銀行の小切手を書いてやるのだった。
叔父は沼津の芸者を落籍いて、又三月程経った、乗合に乗ってぽかぽかと、この山の宿へやって来た。
ブリキの鑵へ印刷する工場を作りたいのじゃがどうだろう、え? 嘉吉さん、……
主人と沼津の男の会話が、開け放たれた二階の窓から洩れて来る。と、久助は忌々しそうに舌打ちをしては、釣竿をかついで川へ出た。
この土地は低い山の懐に抱かれていた。その底を、石の多い谷の河原に、綺麗な水が瀬をなして流れていた。久助は片手にひっかけ鉤をつけた釣竿を持ち、片手に覗眼鏡を動かしては、急湍をすかせながら腰まで浸かして川を渉った。こうやって釣った鮎は毎日の客の膳に上るのだった。
久助は先代の時から、毎日この鮎だけを釣るのが仕事だった。この村で鮎を釣るのは一番だと云われていた。多い日には二十本もあげた。
久助は今、岩に腰をかけて、煙管でぷかぷかと一服休んでいる。紫色の煙が澄み切った秋の空気の中を静かに上っている。赤蜻蛉がすいすいと飛んでいる。
向う…