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美ヶ原
うつくしがはら
作品ID55992
著者木暮 理太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山の憶い出 上」 平凡社ライブラリー、平凡社
1999(平成11)年6月15日
初出「山岳」1921(大正10)年12月
入力者栗原晶子
校正者雪森
公開 / 更新2014-06-18 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 筑摩山脈の武石峠が日本アルプス殊に北アルプスの好展望地であることは、『山岳』五年三号の附録中村清太郎君筆の「冬季信州武石峠より望める日本アルプス略図」に依って世に紹介されてから、山岳の展望に趣味を持つ程の人で知らぬ者は無い位有名になった。実際此山脈の山で千七、八百米の高さがあれば、孰れも眺望がよさ相に思える。中にも美ヶ原は山脈の中央部に位し、且つ其西方に連嶺の最高点二千三十四米の一隆起を控えているから、これに登ったならば更に広闊なる眺望が得られるであろうと、昨年(大正九年)の十月末に出掛けて見た。時間が遅くなったので原迄しか行かれず、最高点に登れなかったのは残念であったが、予期の大観に接することは出来たので、其時のことを少し書いて見ることにした。尤も今では春秋の気候の好い時節には、松本市の中学校や女学校で生徒の遠足地としてよく登山するそうであるから、或は遼東の豕たる譏を免かれないかも知れぬ。
 東京を出る時の予定では、和田峠から尾根伝いに美ヶ原に行き、物見石山を経て和田に下りて一泊。翌日は男女倉道を八島ヶ池に出で、鎌ヶ池に廻り、車山に登りて尾根伝いに大門峠に下り、附近の都合よき場所に野営。三日目に蓼科山に登って其日の中に帰京しようという、例の慾張りすぎた計画であったが、二日目に雨に降られたので和田峠を踰えて帰京してしまった。
 午後十一時飯田町発の汽車に乗って下諏訪駅で下車したのは、十月三十一日の午前八時を少し過ぎた頃であった。直に出発して和田峠に向う。暫く見ない中に附近の様子が大部変っているのに驚いた。殊に目立つのは落葉松の植林の多いことである。西餅屋に着いたのが十時十分。途中振り返ると木曾駒や御岳が孱顔を現している。此道から御岳の見えることは初めて気が着いた。此処から近道をしようと左手の祠の前の旧道を辿って行くと、新道が山の鼻を大曲りに迂廻しようとする角の所に出る。旧道は其処から谷の窪に沿うて、今の峠と峰一つ隔てた西の鞍部に出たと記憶して居るが、最早殆んど道の形も存して居ないから、左手の小尾根を北に向って上り始め、稍や笹の深い所を通過して和田峠に続く尾根まで登ると、意外にも小土手を中央にして二条の防火線が造られてあるのを見た。霜解の為に滑る所もあったが、笹の中を歩くよりは遥に楽である。十勝石の破片が多い。丁度十二時に最初の千七百二十米の圏を有する地点に達した。土手から一寸首を出して向うを見ると、西北の冷い風が汗ばんだ顔にひやりと当って、危峭天を刺す槍穂高の連峰が、新雪に輝く白冷の姿を眼の前に屏風だちに立ちはだからせる。其瞬間息がつまるように感じた。こんなに綺麗でそして雄勁な山の膚や輪廓を見た事がない。余り綺麗なので拵えた物ではないかと、不図そんな考が浮んだ程である。然し晴れ渡った日の午下の太陽に隈なく照り映えて、寒水の如く澄み切った晶冽な大気の中に水が…

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