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黒部川奥の山旅
くろべがわおくのやまたび |
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作品ID | 55994 |
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著者 | 木暮 理太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山の憶い出 上」 平凡社ライブラリー、平凡社 1999(平成11)年6月15日 |
初出 | 片貝谷まで、南又を遡る、釜谷の奥、小黒部谷の入り・上(毛勝山及び猫又山)「山岳」1915(大正4)年12月<br> 小黒部谷の入り・中(赤谷山及び赤兀白兀)、小黒部谷の入り・下(大窓及び池の平)、劒岳「山岳」1916(大正5)年12月<br> 立山を越ゆ、黒部川の峡谷、附記「山の憶ひ出 上巻」龍星閣、1938(昭和13)年12月 |
入力者 | 栗原晶子 |
校正者 | 雪森 |
公開 / 更新 | 2013-10-30 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 155 ページ(500字/頁で計算) |
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片貝谷まで
大正四年七月二十四日午後七時三十分、汽車にて上野発。翌朝九時二十分、魚津着。少許の準備と昼食の後十一時三十分、出立。暑さ甚し。途中屡々休憩して、午後二時三十分、前平沢。此処にて人夫一人を雇い且つ米を購わんとして空しく二時間半を費やし、五時、漸く出発。奥平沢を過ぎて、六時片貝川の沿岸砂地に野営。
日本晴れのした朝の日本海は、山へ急ぐ私達の身にも快よかった。
昨夜は汽車の中で、同行の南日君と赤羽から一緒に乗り込んだ越後女の一隊が、終夜声自慢の謡を歌うやら笑うやら巫山戯るやら、一方ならぬ騒々しさで、夜風の涼しいにも拘らず、少しも眠ることが出来なかった。
宵に上野を立った時は、十三夜の月が薄靄の罩めた野面を隈なく照らして、様ざまの声をした虫の音が、明け放した窓からはやてのように耳を掠めて過ぎ去るのを現ともなく聞きながら、ゆったりした気持ちで窓に倚り掛っていたのであるが、高崎あたりまで来ると、いつの間にかすっかり曇って、見覚えのある丘の頂さえ何処と指せぬ程に、低い雲が立ち迷うている。明日の天気がすぐ気に懸るという程でもないが、多少の不安が無いでもない。軽井沢では、冷たい霧が幽霊の如くすうと窓から這入り込んで、ひやりと顔を撫でた。しかし雨は降らなかったらしい。牟礼柏原の間で夜が明け初める。上州方面の山々は、淡い樺色に染まった高い巻雲層の下に、動くともなく屯している幾重の乱雲に包まれて、唯だ四阿山であったろう、長い頂上を顛覆した大船のように雲の波の上にちらと見せたが、すぐ復た沈んでしまった。左手は間近い飯縄の原の瑞々しい緑が、引汐時の干潟のように刻々に展開して、花野の露にあこがれる大きな蝶のような白い雲の塊が、軽い南東の風に吹かれて、草の葉末とすれすれにふわりと原の上を飛んで行く。この白い雲の塊は飯縄山から戸隠山の方面へかけて、押し重なってぴったりと山の膚へ吸い付いたまま少しも先へ動かない。まるで何か知らん目には見えないが、其処に恐ろしい或者が立ちはだかっていて、雲は其前に懾伏して、進むことも退くことも出来ないもののようである。飯縄山のすぐ北に駢んでいる黒姫山の蒼翠は、この畏れ入った雲の群集を他所にして、空の色と共に目もさむるばかり鮮かであった。
表日本の空を支配する太平洋の勢力は、此処らあたりを境として、最早日本海の勢力範囲に侵入することは、絶対に不可能なのであろう。少なくとも今日はそうでなければならない。斯うして関東平原から私達を追跡して来た雲の脚は、此処で挫けた。私は例えば引かれぬ意地で人を斬って家中を立ち退いた士が、危く他領へ逃げ込んでホット一息しつつ、恐ろしい追手の姿を見送るにも似た心もちで、東の空を眺めていた目を晴れた北の空に向けた。
冬の間日本海は、殊に多量の雪を日本北アルプスに与えて、自ら象嵌し、蝕鏤し、彫刻する材料たらしめる。私…