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角力
すもう
作品ID56002
著者久保田 万太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻2 相撲」 作品社
1991(平成3)年4月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-04-09 / 2015-03-08
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ……だまつて、一人で、せッせと原稿を書いてゐた石谷さんが急に立ち上り、
「一寸、ぢやァ、行つて来ます。」
 万年筆をいそがしく内かくしへしまひながらいつた。
「どこへ?」
「行つていらつしやい。」といふ代りにうッかりわたしはかういつた。……わたしはわたしの席で、用があつて来たある新聞の人と、用をすましたあとの世間ばなしをしてゐた。
「角力へ……」
 けゞんさうに石谷さんはいつた。
「あゝ。」
 気がついて、わたしは、うしろの壁の時計をみた。
「三時ですね、もう。」
「すこし今日はいつもより遅くなりました。……あッちの人たちは疾うにもうでかけました。」
 ……あッちの人たちとは中継係の人たちをいふのである。
「行つてみようかしら、わたしも?」
 ふいと、そのとき、石谷さんのその言葉の尾についてわたしはいつた。
「…………」
 石谷さんはけゞんさうにまた眼鏡を光らせたが、
「どうです、行きませんか?」
 すぐ、また、直截にいつた。
「連れて行つてくれますか?」
 といふ意味は、不意に行つても邪魔にならないか?……わたしはさういつたつもりである。
「たまには御覧なさい、国技館のけしきも。」石谷さんはそれにはこたへないで、「いかにいまの角力といふものが……」
「行きます。……連れて行つて下さい。」
 そのまゝわたしは椅子を立つた。お客を外の人にまかせてとも/″\石谷さんといそいで事務室を出た。……といふことのそも/\が、その四五日わけもなくいそがしかつたあとをうけた天気のいい午後で、訪ねたいと思つた人の都合をきかせると御不在、折角立てた予定のこはれた恰好のつかなさが、さうした出来ごゝろをわたしに起させたのである。
 ……出ると、外は、一ぱいの日の光だつた。
「これで、むかしァ、なか/\みたんですよ、角力を。」
 自動車に乗るなりわたしはいつた。……とにかく、こッちから、「行つてみようかしら?」と売込んだのである、義理にも、何とか、事それに関したことを話さなければいけない必要をわたしは感じたのである。
「いつです、むかしといつて?」
 石谷さんはわらつた。
「小錦の横綱時分です。」
「小錦の?」石谷さんは耳を疑ふやうに、「それぢやァ、あなた?」
「えゝ、三十年まへです。……小学校の高等二三年時分です。」
 といつて、わたしは、朝潮だの、逆鉾だの、源氏山だの。……大砲だの、荒岩だの、谷の音だの、さうした人々の、その時代に活躍した人々の名まへをあげた。
「戯談ぢやァない。」
 たとへばさういつた感じに、石谷さんは、急にまた声をだしてわらつた。



「開橋記念」で両国の近所はわけもなくにぎやかだつた。ことに茶番の屋台のかゝつた橋のたもとのごとき人で埋つてゐた。……欄干だけの、野広い感じの、何の修飾もない橋の上。……そのあたらしい橋の上には、みなぎつた一ぱいのあか…

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