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萩
はぎ |
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作品ID | 56003 |
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著者 | 久保田 万太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻14 園芸」 作品社 1992(平成4)年4月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2015-06-11 / 2015-03-08 |
長さの目安 | 約 12 ページ(500字/頁で計算) |
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おやくそくの萩の根、いつでも分けてさし上げます。おついでのせつ御来園まち上げます、と百花園の佐原平兵衛君からはがきが来た。四月のはじめのことである。……さういはれたからとて、右からひだり、おいそれとすぐ出かけて行けるいまの身の上ではない。……そのまゝ、返事も出さず打捨りッぱなしにしておいた。
と、その月のなかばすぎ、田圃さんこと沢村源之助さんが死んだ。たまにしか逢ふ機会はなかつたものゝ、わたくしにすれば、十四五年にわたる古い附合である。そして、逢へばいろ/\と、いつもいゝ話を聞かせてくれた人である。勿論、わたくしはくやみにも行けば告別式にも行つた。……しづかな、しんみりした、けば/\しいところのちッともない告別式だつた、……わたくしの記憶にもしあやまりがなければ、その日、曇つて糠雨がふつてゐた。……それで、一層、わたくしにさう感じられたのかも知れないが、とにかく、ほとけのその晩年にいかにもそぐつた、……しんみりした……といふことはまた、たま/\ときは春の末の、花の散つたあとの、やさしい、可懐しい感じのする告別式だつた。
初七日の来たとき、わたくしも、東京会館の法事の席にまねかれた。その席で、同時に、亡き人の目のなかに入れても足りないほど可愛がつてゐたむすめさんと、木村錦花君のむすこさんとの結婚が松竹の大谷さんによつて披露された。これで田圃さんも安心して行くところへ行けるだらう。わたくしは胸のひきしまるのを感じた。……主卓の花の白いあやめが、そのかなしみと喜びにむかつて、しづかに、つゝましく、その花びらを垂れてゐた。
だれも無言で珈琲を啜つた。そして、やがて、無言のまゝそれ/″\の席を立つた。
わたくしは小村雪岱さんと一しよに東京会館の階段を下りた。
「どうなさいます?」
小村さんはいつた。
「とにかく銀座まで出ませう。」
わたくしはこたへた。で、そのまゝ、ぶら/\、銀座のはうへ向いてあるいた。しら/″\とした感じに曇つた午後だつた。時計をみるとまだ二時すこしすぎたばかりだつた。
「こんな時間に、こんなところを、こんな暢気にあるくなんてことはとても考へられないことです。」
と、ほと/\述懐するやうに小村さんはいつた。……新聞の続きものゝ挿絵を二つも三つも描かなければならない小村さんにとると、夜の、それこそ、九時、十時にならなければ、自分の好き自由につかへる時間といつてはもてないのだつた。
「それァさうですよ。……こんなときでゞもなければ……」
それにこたへてわたくしもいつた。「こんな時間に、こんなところを、わたしだつてうそ/\あるいちやゐられません。」
「そんなに、いつも、おいそがしいんですか?」
小村さんは、信じられないやうに、わたくしの顔をのぞいた。
「いゝえ、いそがしいといふよりも。……矢つ張しばられてゐるんです。……つまりさうなんで…