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剣の四君子
けんのよんくんし
作品ID56063
副題04 高橋泥舟
04 たかはしでいしゅう
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「剣の四君子・日本名婦伝」 吉川英治文庫、講談社
1977(昭和52)年4月1日
初出「講談倶楽部 二月号」大日本雄弁会講談社、1940(昭和15)年2月
入力者川山隆
校正者岡村和彦
公開 / 更新2014-10-06 / 2014-09-15
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 熟れた柿が落ちている。何のことから始まったのか、柿の木の下で、兄弟は取っ組み合っていた。
 小さい謙三郎は、手もなく、兄の紀一郎に投げつけられて、強かに背を大地へ打ちつけた。
「よくも投げたな」
 恥辱だと思うのだ。武士の子だ。転びながらも歯軋りして、兄の足へしがみつく。
「まだ懲りぬか」
 紀一郎は振り放す。小癪な弟は、喰い下がって離れない。そしてまた組む。また勢いよく叩きつけられる。
 妹の英子は泣き出して、
「――母あ様、母あ様」
 と、奥へ急を告げる。
 書院の破障子が開いて、立ち出でたのは、兄弟の母でなくて、父の山岡市郎右衛門であった。
「また喧嘩かっ。紀一郎、大きなくせに、止めんか。謙三郎、弟の分際で、兄上に対し、何たることか」
 この一喝で、兄弟は立別れ、やがて半刻もお談義を喰う。母の文子が来て詫びる。おまえの躾けが悪いからだと母までも叱言を聞く。幼い英子までが一緒に泣いて謝りぬく。女の子の可憐しさにはかなわぬといった風で、市郎右衛門は、
「泣くな、もうよい」
 と、英子を宥めることに依って、一先ず母も兄弟も、以後を誡められてやっと許される。
 旗本といえば歴乎と聞えるが、幕臣山岡家は微禄だし豊かでなかった。庭の草も茫々、障子の貼代えも年に一度を二年越しに持たせたりしている。唯、そんな家庭にも絶えず旺な物音がある所以は、元気な男の子二人のためだった。兄の紀一郎がことし十五。弟のなかなかきかない方が、やっと九歳で、通称謙三郎、字は寛猛、後に養家の高橋姓に改めて、伊勢守となり、泥舟と号した人である。
 その高橋家は、母の里方の家だった。
 二の丸留守居役の高橋義左衛門包実が、母の父であった。兄弟たちには外祖父にあたる人だ。
 そこへ兄弟は、毎日、剣道と槍術の指南をうけに通っている。高橋家は、累代、剣、槍、薙刀の三法一如を唱えて、幕府の子弟に教授し、流風は地味であったが、武技そのものより士魂を尊んで、幕末の頽廃的な士風に、復古的な武士道教育を打ちこんでいた。
 その祖父であり師である高橋義左衛門が、ふと訪れて、
「此家の兄弟を出してみんか、人前に立たせるのも、修業のひとつじゃで」
 何の話かして帰った。
 父と祖父との対談を小耳にはさんでいた兄弟は、まろい眼を見合せていた。義左衛門が帰って行くと、紀一郎、謙三郎のふたりは呼ばれた。父の市郎右衛門は、二人を見較べて、
「そち達、よう精出して喧嘩するので、明日は、曠れて真剣の決戦をさせてやると、義左衛門様のお計いじゃ。明日こそは、兄弟とて、紀一郎も弟に負くるな。謙三郎も兄に負けるなよ」
 と、云い渡した。



 枯れ初めた初冬の草床が暖い日だった。物頭松平六左衛門の邸内に人がたくさん集まった。門脇から幕が張ってある。朝からずっと、鋭い掛声と、竹刀、木太刀、稽古槍の響きなどが続いている。
 年々…

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