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濞かみ浪人
はなかみろうにん
作品ID56067
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・43 新・水滸傳(二)」 講談社
1967(昭和42)年6月20日
初出「サンデー毎日 新春特別号」毎日新聞社、1938(昭和13)年1月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-11-26 / 2014-09-16
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

親の垢


 几帳面な藩邸の中に、たった一人、ひどく目障りな男が、この頃、御用部屋にまごまごしている。
 彼は、俗にいう、ずんぐりむッくりな体格で、年は廿六、七歳だった。若いくせにいつも襟元がうす汚い。袴の紐もよく締まって居ないと見えて、後下がりに摺ッこけている時が多い。
『オイ、数右衛門』
 と、呼ぶと、
『ウウム』
 と、体ぐるみ廻して振向くと云ったような鈍重漢である。すこし猪首のせいであろうが、そのくせ人を見る眼は、ぎょろりと一癖あるので、そう小馬鹿にも扱い難い。
 従って、彼にはまだ友達ができない。尊敬する気にはなれないし、顎で使うには厄介なのだ。ここの御用部屋には、馬廻り役とお使番とが雑居していて、相当用事も多いのだが、数右衛門だけは、いつも事務から遊離して、まごついているふうであった。
 稀[#挿絵]、誰でもいいような使命を当てがうと、平気でずぼらをやるし、又忘れッぽい。とても他家へ立つ使者だの、君側の大事な用向などには遣れたものではない。
 だから御用部屋が閑だと彼もほっとするらしい。忙しい時まごまごするのは、彼の責任感がさせるのだった。閑になると、上役や同僚のやっている囲碁を、後に立って懐ろ手で頭越しに覗いて居たりする。
『誰だ、あれは』
 兎角、誰にも気になるとみえて、まだ彼を知らない奥向の老臣などでも、よく彼の同僚は訊ねられた。
『は、あれは先頃、お国表の方から江戸詰に転役して参った――不破数右衛門でございます』
 そう同僚が答えると、次にはきっと、誰でも同じように頷いて呟いた。
『――道理で、何処となく、浪人くさい男じゃと思ったら、あれが岡野治太夫のせがれか。それでまだ、親の垢が抜けておらぬのじゃな』


浪人ぼね


 さむらいの中には、浪人骨という言葉がある。元和慶長頃の粗野な血をそのまま持っていて、元禄という文化時代へ来ても、どうしてもそれが洗練されない――そして平和な社交で奉公人の型に篏らない人間――それを、
(浪人骨のぶとい奴)
 と、よく云うのである。
 数右衛門がそれだし、彼の親の岡野治太夫が又それだった。豪放不覊な質だったのであろう、もう十数年前に、浅野家を浪人して、頑として、陋巷に貧乏を通して死んだ。
 べつに、罪科があっての浪人ではないから、その子の数右衛門は又、元の浅野藩の家へ養子に貰われて来た。しかし、親ほど浪人骨がぶといとは、養家でも思わなかったに違いない。
 ところが、数右衛門の浪人骨は、親の治太夫以上にぶといものだった。
 今でも、国元の者のあいだに、
『何せい、殿様を謝まらせたのは、彼奴ばかりだからのう』
 と、話柄に残っている事がある。
 それは、或る夏だった。
 赤穂城に近い千種川で川狩が催された時である。舟中の宴の座興に、内匠守長矩がふと云い出した。
『誰ぞ、あの飛び交う燕を斬り落してみい』と。――…

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