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駅伝馬車
えきでんばしゃ |
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作品ID | 56078 |
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著者 | アーヴィング ワシントン Ⓦ |
翻訳者 | 高垣 松雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「スケッチ・ブック」 岩波文庫、岩波書店 1935(昭和10)年9月15日 |
入力者 | 雀 |
校正者 | 小林繁雄 |
公開 / 更新 | 2013-09-20 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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いざ、これより樂しまむ、
仕置を受くる憂なく、
遊びたのしむ時ぞ來ぬ、
時ぞ來ぬれば、いちはやく、
讀本などは投げ捨てて行く。
――學校休暇の歌
前章で述べたのは、イギリスに於けるクリスマス祝祭に就ての幾つかの一般的な觀察であつたが、今わたしは誘惑を感ずるままに、その具體的な例證として田舍で過したクリスマスの逸話を記してみたいと思ふ。讀者が之を讀まれる際に、わたしから辭を低くして切に願ふのは、いかめしい叡知はしばらく忘れて純一な休日氣分にひたり、愚かしきことをも寛き心を以て許し、ひたすら愉樂をのみ求められんことである。
十二月のこと、ヨークシャを旅行の途上、長い道程をわたしは驛傳馬車の御厄介になつたが、それはクリスマスの前日であつた。馬車は内も外も乘客が混みあつてゐた。その語りあふところから見ると、行先は主に親戚友人の家でクリスマスの御馳走になりに行くのらしかつた。馬車に積込まれたものとしては、また狩獵の獲物の入つた大籃や、珍味を詰めた箱などもあつた。野兎が長い耳をぶらぶらさせて馭者臺の周圍に吊されてゐた、遠方の友人からの贈物で、差迫つた饗宴の用に立てるのであらう。わたしは三人の美しい薔薇色の頬をした少年と一緒に、車内に乘つて行つた。少年たちの顏に溢れるはちきれさうな健康と、男らしい氣魄とは、わたしが今迄にも此の國の子供達のうちに見て來たものであつた。彼等は休暇で歸省の途上にあつて、いかにも陽氣で、これから澤山樂しいことが待つてゐるのだと勇んでゐるのだつた。聞いてゐるだに面白さうに、この小さな腕白たちはやたらに大きな計畫や、またやれる見込もない素晴しい遊びごとを、この六週間に演じようとしてゐたのである。この休暇と云へば、あの厭な書物と鞭と先生との束縛から解放の時である。彼等が胸を躍らして思ひ描いてゐるのは、家族の人々、さては飼猫や飼犬と顏をあはせる時のことであり、自分達のポケット一杯に詰込んである贈物で小さな妹たちを喜ばせることであつた。併し何よりも待遠しく思つて會ひたがつてゐるのはバンタムであつたらしい。バンタムと云ふのは小馬のことと知れたが、少年たちの話合つてゐるところでは、その優れた性質は名馬ブーシファラス以來どんな馬も及ばないのであつた。あのトロットの具合、あの走る姿、それから例の跳躍ぶり――全國どこの生籬だつてバンタムに飛越せないところはないのだ。
少年たちは特別に馭者から世話されてゐた。機會さへあれば彼等は馭者に向つて何やかやと質問をあびせかけ、そして彼を世界中で一番良い人だと云つた。實際その通りで、わたしの目にも彼の並々ならぬ樣子は映つたので、忙しく世話をやいたり、勿體ぶつた態度が見られた。帽子を少し横つちよに冠り、クリスマスの常盤木の大きなのを外套の釦孔に[#挿絵]してゐたのである。乘合馬車の馭者といふものは、きまつて氣の利いた、世話…