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江戸の火術
えどのかじゅつ
作品ID56091
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社
2009(平成21)年6月30日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-09-04 / 2015-08-13
長さの目安約 37 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

二人の昼鳶

「あッ、泥棒ッ」
 井上半十郎正景は、押っ取刀で飛出しました。
 初秋の浜名湖を渡って、舞坂の宿外れ、とある茶店で中食を認め、勘定をする積りで取出した紙入を、衝立の蔭から出た長い手が、いきなりさらって表口へ飛出したのです。
 が、事件はそれだけではありません、その昼鳶を追っかけて、思わず敷居を跨いだ半十郎、何がなし重大な不安を感じて、フト後ろを振り返って驚きました。
 今まで神妙に弁当を使って居た町人風の第二の男が、半十郎が席へ置いた、振り分けの荷物を引っ抱えて、これは裏口の方へ逃げ出したではありませんか。
「あッ」
 半十郎、紙入をさらった第一の男を断念して、振り分け荷をさらった、第二の男に必死と追いすがりました。紙入の中の金は、多寡が江戸までの路用、――今の半十郎には大金でも、僅に十三両二分しか入って居りませんが、振り分けの荷の中には、身にも世にも、命にも、面目にも替え難き、井上流砲術の秘巻が入って居たのです。
「己れッ、待たぬかッ」
 追う武士と、追わるる賊と、七月の明るい陽を浴びて、田も、畑も、藪も、林も、真一文字に突き切りました。泥棒の足の早さも抜群ですが、二十七歳の若さを、忿怒と驚愕に燃えさかる、井上半十郎の意気込の凄まじさも一と通りではありません。
「返せッ、それは金目の品ではない、――返さないと、己れッ、手裏剣が飛ぶぞ」
 半十郎は駆け乍ら、小柄を抜いてサッと振りあげました。曲者との距離は僅かに二十歩、あと五六歩詰めさえすれば、間違いもなく首筋が縫えるでしょう。
 早くもその気勢を察した曲者は、中腰に身を屈めると、サッと右手へ切れました。其処から木立の入口まで、身の丈け程の恰好な藪が続いて、手裏剣を防いでくれるのでした。
「あッ」
 一瞬、曲者の姿は見えなくなりました。大地を嘗めるように、木立の中へ躍り込んだのです。
 続く井上半十郎、今度曲者の姿を見掛けたら、遠慮もなくその手裏剣を飛ばす積り、突き詰めた心持で、ツと木立の中へ――。
 が、木立は思いの外浅く、飛込んだ半十郎の前には、広々と明るい道が開けて、其処には若い女が一人、嫣然、半十郎を迎えるように立って居るではありませんか。
 曲者は? ――と見ると、ほんの五六間先へ、頭を先へ押っ立てて、両手で梶を取るように、死物狂いで逃げて行くのです。
「己れッ」
 振り上げた手裏剣は――不思議、宙に押えられました。
「お待ちなさいまし、お入要の品はこれでしょう」
 若い女は見覚えある振り分けの荷物を、半十郎の眼の前へ差出したのです。
「どうしてそれを」
「御難渋の様子を拝見して、曲者の手から奪い還しました」
「――――」
 半十郎は何んとなくギョッとしました。この女の爽やかな声には、忘れ難い響があったのです。
「でも、手裏剣はお止しなさいまし、無益な殺生でございます」
 若い女はそう…

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