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裸身の女仙
らしんのにょせん
作品ID56102
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社
2009(平成21)年6月30日
初出「朝日」1932(昭和7)年9月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-09-12 / 2015-08-16
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

綱渡りの源吉が不思議な使い

「姐御」
「シッ、そんな乱暴な口を利いてはいけない」
「成程、今じゃ三千石取のお旗本のお部屋様だっけ、昔の積りじゃ罰が当らア」
 芸人風の若い男は、ツイと庭木戸を押し開けて植込の闇の中へ中腰に潜り込みました。
 迎えたのは、二十一二の不思議な美しい女です。
 武家風にしては、少し派手な明石縮の浴衣、洗い髪を無造作に束ねて、右手の団扇をバタバタと、蚊を追うともなく、話し声を紛らせます。不思議に美しい――と言ったのは、決して無責任な形容詞ではありません。月の光と、縁に吊した灯籠と、右左から照らされたこの女の顔は、全く、想像も及ばぬ不思議な美しさだったのです。首筋に束ねた髪は燃え立つように赤い上、大きく波打って、二つの瞳は碧海を切り取ったように碧く、上丈は五尺二三寸、肌の色は、桃色真珠に血を通わせたような、言いようの無い美しさに匂うのでした。
 この一風変った美しさを、人によっては、不気味と見る人もあるでしょうが、この邸の主人、安城郷太郎は、又なきものに寵愛して、本妻の亡き後は、一にもお鳥、二にもお鳥、お鳥でなければ、夜も日も明けぬ有様だったのも無理のないことです。
「そんな嫌な事を言っておくれでない――、それはそうと、あれほど此邸の側へも寄らないようにと言って置くのに、何うして潜り込んで来たのだえ、源吉」
 お鳥はたしなめるように、斯う言い乍らも、幾年振りかで逢った、一座の弟太夫、あの綱渡りのうまい源吉を、世にもなつかしく眺めるのでした。
「姐御、すまねえ、俺だってこんな、泥棒猫見たいな恰好までして、人の家へ忍び込み度くはねえが、二年振りで江戸へ帰って来ると、矢も楯もたまらず姉御に逢い度くなったんだよ」
 源吉は、この二つばかり年上の美女を物悲しく見上げました。小さい時から一座に育って、恋というにしてはあまりに親し過ぎる二人は、手を取り合って心ゆくばかり話すか、それとも、二匹の犬っころのように、存分に喧嘩でもし度いような、悩ましい衝動をどうすることも出来ませんでした。
「皆んな丈夫かい」
 お鳥もツイ一足踏み出しました。張子の球にも鞦韆にも、手を組んで乗った源吉が、今でも親身の弟のように思えてならなかったのです。
「あ、親方も、お神さんも、一座の者は皆んな丈夫だよ。姐御が抜けてから、碌に目は出ないが、それでもまア、その日に困るようなことは無い。――ところで、三千石のお旗本のお部屋様になった姐御は幸せかい。親方は晩酌の度に、そればかり心配して居るよ」
「有難う、まア、此通り暮して居るから、仕合せと言うものだろうよ、不足を言えば限りの無いことだから――」
「そうかね、その言葉の様子じゃ、あまり香ばしい事も無さ相だ、まア、辛抱しねえ」
「お前に意見を言われるようになったのかねえ」
「ヘッ、其辺は矢張り昔の姐御だ、――尤もお月様の光じゃ、は…

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