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奇談クラブ〔戦後版〕
きだんクラブ〔せんごばん〕
作品ID56123
副題15 お竹大日如来
15 おたけだいにちにょらい
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「野村胡堂伝奇幻想小説集成」 作品社
2009(平成21)年6月30日
初出「月刊読売」1947(昭和22)年11月
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2015-04-14 / 2015-03-30
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

プロローグ

「徳川時代にも、幾度か璽光様のようなのが現われました。流行る流行らないは別として、信じ易い日本人は精神病医学のいわゆる憑依妄想を、たちまち生身の神仏に祭り上げたり、預言者扱いをして、常軌を逸した大騒ぎを始めるのです。私はそれが、良いとか悪いとか申すのではありません。兎にも角にもここでは、徳川時代の最も代表的な生き仏の話も皆様に聴いて頂こうかと思うのです」
 奇談クラブの例の会場で、話し手の伊丹健一は、こんな調子で始めました。四十前後の色の白い巨大な体格の持主で、極めてよく身体についた小豆色の背広を着て居りますが、これが何んとやらいう有名な川柳研究家とは知る人も少いでしょう。
「――知らぬが仏竹々とこき使い――という古い川柳があります。これは、江戸大伝馬町の豪家佐久間某の家の下女お竹と申すものが、勿体なくも大日如来の化身であったという寛永年間の伝説を詠んだもので、そのことは斎藤月岑の有名な『武江年表』にも載っており、当時は大変な騒ぎでした。が、川柳家などというものは、恐ろしく洒落たもので、この徳川期の璽光様ともいうべきお竹大日如来を冷かして、『お竹の尻を叩いたらカンと鳴り』とか『お竹殿どうだと凡夫尻を打ち』などと怪しからぬ冒涜詩を作っております」
 伊丹健一の話は、こう面白く発展して行くのでした。



 下女のお竹は、その時二十一、透き徹るような清廉な娘でした。主人の佐久間勘解由は、東照宮入国のお供をして大伝馬町に住み付き、代々公儀の御用達を勤める身分ですが、生得気むずかしく、物事に容捨を知らぬ心掛けの人間で、それに連れ添う内儀のお杉は、けちで嫉妬で、主人にも増して奉公人にはむずかしい人柄でした。
 下女のお竹は奉公人といっても遠縁の娘で、両親とも死に絶えて佐久間家に引取られ、奉公人同様にコキ使われていたのですから、その気兼苦労は一と通りではありません。
 お竹はそれにも拘らずよくできた娘でした。十四の時に引取られて足掛八年、全く骨身も惜しまずに働いたのです。むずかしい主人と、吝嗇な内儀の間に挟まって、朝から晩まで、さいなみ続けられながら、三度の食事もおちおちとる暇もない程、――どうしてこんなにも身体が続くかと、自分で自分が疑われるほど、真に影も日向もなく働いてきたのでした。
 ところで、近ごろ思いもよらぬ災難がお竹の身辺を取巻いて、真黒な渦を巻き始めたのです。手っ取り早く言えば、お竹はあまりにも素直過ぎ、優し過ぎ、そして美し過ぎたために、もろもろの悪魔外道が、いろいろと誘惑の手を伸べて、お竹を無間地獄へ引摺り込もうとしているのでした。
 二十一歳のお竹が急に美しくなったわけではありません。十四の時佐久間家に引取られた時から眼鼻立ちの端正な、笑顔の可愛らしい娘でしたが、お勝手の埃と脂に塗れて、ろくに磨き立てる隙も無いままに年を取り、誰も顧みる…

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